新政府の会津藩・庄内藩の処遇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:19 UTC 版)
「戊辰戦争」の記事における「新政府の会津藩・庄内藩の処遇」の解説
文久の改革後、京都守護職および京都所司代として京都の治安を担当していた会津藩藩主・松平容保および桑名藩藩主・松平定敬の兄弟は、京都見廻組および新撰組を用いて尊王攘夷派の弾圧を行い、尊王攘夷派・のちの新政府(薩摩藩・長州藩)から恨みを買っていた。また鳥羽・伏見の戦いにおいて会津藩と桑名藩は旧幕府軍の主力となり、この敗北によって朝敵と認定されていた。 また江戸薩摩藩邸の焼討事件での討伐を担当した庄内藩藩主・酒井忠篤は、新政府によって会津藩への報復と同様の報復がなされることを予期し、以後両藩は連携し新政府に対抗することとなった(会庄同盟)。
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