新政府とレーテ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/14 05:33 UTC 版)
やがてレーテ運動の波は首都ベルリンにもおしよせ、激しいデモ運動が展開された。11月9日、マクシミリアン・フォン・バーデン首相はドイツ社会民主党のフリードリヒ・エーベルトに政権を委ねた。フィリップ・シャイデマンが共和政を宣言した後(ドイツ共和国宣言(ドイツ語版))の11月10日、社会民主党と独立社会民主党、ドイツ民主党は仮政府「人民委員評議会(ドイツ語版)」(ドイツ語: Rat der Volksbeauftragten)を結成した。ベルリンの労兵レーテはこの動きを承認したものの、独立社会民主党の左派である革命的オプロイテ(ドイツ語版)が半数を占める大ベルリン労兵レーテ執行評議会(ドイツ語版)を選出し、ドイツにおける最高権力をゆだねることを宣言した。 レーテの中には大きな権力を持つものもあり、ドイツ帝国海軍内に設置されたレーテである海軍53人委員会は海軍省ならびに海軍軍令部を指揮下におき、その副署無しではいかなる命令も合法性を持たないと指令するほどであった。
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