新政府下
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 07:00 UTC 版)
天誅組の挙兵後には伊藤三弥ではなく伊藤謙吉を名乗っている。1868年(慶応4年)に明治政府が発足して明治維新が起こると、木戸・岩倉両家の推挙にて司法省の出仕となり、次いで佐賀と徳島の各始審裁判所長を歴任した。1883年(明治16年)には内務省に転じ、内務書記官、三重県大書記官となる。1890年(明治23年)には三重県令を拝命したが、同年に官を辞した。 1890年(明治23年)の第1回衆議院議員総選挙において、三重4区から自由党公認で立候補して初当選。1892年(明治25年)の第2回衆議院議員総選挙では独立倶楽部から立候補して再選。1893年(明治26年)に衆議院議員を辞職したが、衆議院議員は2期務めた。
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