江戸藩邸とは? わかりやすく解説

江戸藩邸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/25 03:39 UTC 版)

江戸藩邸(えどはんてい)は、江戸時代江戸に置かれた藩邸(屋敷)である。ただし、江戸時代当時の歴史的呼称ではなく、後世つくられた歴史用語である[1]。当時は、単に武家屋敷もしくは江戸屋敷と呼ばれ、個別の屋敷は当該屋敷を使用する武家の家名を付して○○家屋敷などと呼ばれた。


  1. ^ 歴史学では、江戸時代の統治構造を指して幕藩体制と呼ぶことがある。しかし、明治初年に府藩県三治制が定められるまで、「」という用語・概念が広く用いられることはなかった。江戸時代を通じて、「藩」ではなく「家」(イエ)を中心とした制度が運用された。
  2. ^ 慶長10年(1605年)に結城秀康越前藩)が拝領した麹町屋敷(上屋敷)は子・松平忠直(改易)から孫・松平光長高田藩新規立藩)に伝わった。また、元和5年(1619年)に松平忠昌(高田藩)が拝領した龍ノ口屋敷(上屋敷)は忠昌の福井藩相続後も変更されることはなく、次代藩主の松平光通に伝わり、明暦3年(1657年)の明暦の大火で消失した。ただし忠昌が「利便性」を選んだとも、兄の子を憐れんだためとも伝わる。
  3. ^ 例えば、50万石の格式を持った家が減封処分となり5万石となった場合、以降の格式・財政ではこれまでの大屋敷を維持できず「身分不相応」とされ屋敷を替えられることがあった。
  4. ^ 富山県公文書館『とやまの歴史 将軍綱吉。加賀藩本郷上屋敷御成り』富山県、1998年、p93頁。 
  5. ^ a b 金行信輔「描かれた大名屋敷」、「加賀殿再訪―東京大学本郷キャンパスの遺跡」(東京大学コレクション)。文化庁編『戦災等による焼失文化財[増訂版]建造物篇』便利堂、1983年(文化庁編『戦災等による焼失文化財』戎光祥出版 2003年



江戸藩邸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/05 07:20 UTC 版)

川越藩」の記事における「江戸藩邸」の解説

川越藩松平越前〕家時代)の江戸藩邸・上屋敷は、今日港区虎ノ門2丁目汐見坂霊南坂江戸見坂3つの坂が取り囲む一帯にあった。現在、The Okura Tokyo建っている場所である。中屋敷は、赤坂1丁目にあり、現在はアークヒルズ内のサントリーホールになっている下屋敷高輪3丁目にあり、現在の高輪警察署近辺である。

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