むらかみ‐すいぐん【村上水軍】
村上水軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/20 08:24 UTC 版)
村上水軍(むらかみすいぐん)は、日本中世の瀬戸内海[1]で活動した水軍(海賊衆)である。その勢力拠点は芸予諸島を中心とした中国地方と四国地方の間の海域であり、その後大まかに能島村上家、因島村上家、来島村上家の三家へ分かれた。
- ^ ただし、瀬戸内海という概念ができたのは明治時代である。詳細は瀬戸内海参照。
- ^ 村上海賊いんのしま観光なび(2018年3月9日閲覧)
- ^ 羽原又吉『漂海民』(岩波新書、1963年) ISBN 4-00-415074-4
- ^ 尾道市HP参照 http://www.city.onomichi.hiroshima.jp/www/info/detail.jsp?id=8160
- ^ 伊予大島の別名で、現愛媛県今治市
- ^ 重文に「鳥羽天皇像」掛け軸
- ^ 根来寺の「絹本著色鳥羽天皇像」などが重文指定へ
- ^ 根来寺の鳥羽天皇肖像画が重文に
- ^ 根来寺「鳥羽天皇像」など重要文化財に
- ^ 清水克行『室町は今日もハードボイルド 日本中世のアナーキーな世界』新潮社、2021年6月発行、P33・34
- ^ 村上水軍博物館(2018年3月9日閲覧)
- ^ Company, The Asahi Shimbun (2015年10月26日). “「村上水軍」スペシャル対談 衆院議員・村上誠一郎×作家・和田竜〈週刊朝日〉”. AERA dot. (アエラドット). 2022年9月30日閲覧。
- ^ 国難を救った水軍魂(村上誠一郎公式サイト)
- ^ 松本隆志 (2014年4月11日). “[愛媛]『村上海賊の娘』が本屋大賞に輝く。村上水軍をルーツに持つ村上佑介に直撃取材!”. BLOGOLA 2016年6月25日閲覧。
- ^ “マッキーのものしり事典(次点) マッキーの「海の常識」第3回目「面舵、取舵、ようそろ!」”. 2013年5月26日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年4月29日閲覧。 - 海上保安庁伏木海上保安部
村上水軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 04:18 UTC 版)
安芸国を本拠地とする瀬戸内海の海賊。吏英が地元でのしがらみを嫌ったため、外国との交易の探求も兼ねて外界に進出してきた。マエカワに関する誤報をカタリベに伝えた責任を感じ、終盤の高麗遠征でカタリベに与力することになった。
※この「村上水軍」の解説は、「カタリベ」の解説の一部です。
「村上水軍」を含む「カタリベ」の記事については、「カタリベ」の概要を参照ください。
村上水軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/23 04:18 UTC 版)
吏英 村上水軍の当主の娘。オールバックで巨大なリボンとポニーテールが特徴。しがらみから解放されることを望んでおり、そのために外海に出てきたところにマエカワ一党と出会った。バハンと会うため同行を望んだが、寇掠を止められて胡蝶の島に残った。
※この「村上水軍」の解説は、「カタリベ」の解説の一部です。
「村上水軍」を含む「カタリベ」の記事については、「カタリベ」の概要を参照ください。
村上水軍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 06:03 UTC 版)
「村上水軍」および「#因島村上氏」を参照 因島では村上水軍をテーマに観光展開している。これは旧因島市が造船不況を受けて島の産業を転換、1989年から水軍と花をテーマに観光業に力を入れてきたことによる。因島水軍城や因島水軍まつり、水軍料理などである。 2010年代に入りにわかに活気だっている。きっかけは2014年和田竜『村上海賊の娘』が本屋大賞を受賞、同年にNHK大河ドラマ『軍師官兵衛』が放送され、2つともちょうど第一次木津川口の戦いを扱った点で重なったことであった。また同年には愛媛県今治市村上水軍博物館10周年記念として、三島村上氏の末裔が440年ぶりに顔を合わせるイベントがあった。こうしたの中で尾道市と今治市が共同で作成したストーリー案「“日本最大の海賊”の本拠地:芸予諸島-よみがえる村上海賊“Murakami KAIZOKU”の記憶-」が2016年日本遺産に認定された。
※この「村上水軍」の解説は、「因島」の解説の一部です。
「村上水軍」を含む「因島」の記事については、「因島」の概要を参照ください。
村上水軍(瀬戸内海)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/06 15:08 UTC 版)
瀬戸内海の交通拠点である厳島の権益に注目していた晴賢は、大寧寺の変で真っ先に接収した厳島にて駄別料(通行料)の徴収を始めた。義隆の頃までは、村上水軍が駄別料徴収を認められていたため、村上武吉らの反発を招いた。これが、後の厳島の戦いで村上水軍が毛利方に付く要因の一つとなった。
※この「村上水軍(瀬戸内海)」の解説は、「大寧寺の変」の解説の一部です。
「村上水軍(瀬戸内海)」を含む「大寧寺の変」の記事については、「大寧寺の変」の概要を参照ください。
村上水軍と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 村上水軍のページへのリンク