乃美宗勝とは? わかりやすく解説

乃美宗勝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/11 04:23 UTC 版)

乃美 宗勝(のみ むねかつ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将小早川氏の家臣で、居城は安芸国豊田郡忠海の賀儀城(かぎじょう)。沼田小早川氏の庶流・浦氏の当主とされることや、宗勝が本拠とした忠海を含む浦郷の在名から、浦 宗勝(うら むねかつ)とも呼ばれる。通称は新四郎、兵部丞。


注釈

  1. ^ 弘治3年(1557年)の周防国須々万沼城攻めに際しての毛利氏における鉄砲の実戦使用の初例とされる同年2月19日付の小早川隆景の書状は宗勝の弟・万寿(後の乃美元信)に宛てられたものである[5]
  2. ^ 閥閲録』巻11「浦図書」に収められている永禄4年11月2日付けの乃美宗勝宛て毛利元就書状[8]にも、宗勝が伊美弾正左衛門と槍を合わせて鼻の左脇を負傷しつつも討ち取った武功を賞して相生と白松を知行地として与える旨が記されているが、当時使われない表現が使用されていることから偽文書の可能性が指摘されている。
  3. ^ この時の戦いにおいては、いわゆる三島村上氏が揃い踏みして毛利軍の勝利に貢献しており、能島からは村上武吉因島からは村上吉充来島からは当主・村上通康の名代として村上吉郷と村上吉継が出陣している[9]
  4. ^ 文禄の役では、豊臣秀勝をはじめとして慣れない朝鮮の風土から病に罹る者が続出し、毛利軍の中でも毛利輝元や重臣の口羽春良らが病に罹っている。輝元は開寧に留まっての養生と曲直瀬玄朔による治療で快方へと向かったが、口羽春良は開寧の陣中で病死している[40]
  5. ^ ただし宗勝寺への寺領の寄進は、寄進が決定された翌年になっても中々実行されなかったようで、寺領の宛行が行われていないとの宗勝寺の訴えを受けた隆景は、新たに隠居領である宗像郡内から20石の地を宗勝寺に与えるよう、高尾盛吉と宗近長勝に命じている[41]

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s 田村哲夫編修 1980, p. 158.
  2. ^ 田村哲夫編修 1980, p. 157.
  3. ^ a b 『閥閲録』巻11「浦図書」54号、乃美宗勝御感状陣所合戦場付立。
  4. ^ 『閥閲録』巻11「浦図書」11号、天文16年比定5月9日付、乃美新四郎(宗勝)殿御宿所宛て毛利元就書状。
  5. ^ 山本浩樹 2007, p. 92.
  6. ^ a b 三卿伝編纂所 1984, p. 251.
  7. ^ 山本浩樹 2007, p. 145.
  8. ^ 『閥閲録』巻11「浦図書」9号、永禄4年11月2日付、乃美兵部丞(宗勝)殿宛て(毛利)元就書状。
  9. ^ a b 山本浩樹 2007, p. 145-146.
  10. ^ 山本浩樹 2007, p. 149.
  11. ^ 山本浩樹 2007, p. 158.
  12. ^ 山本浩樹 2007, p. 159.
  13. ^ 『閥閲録』巻11「浦図書」39号、永禄11年比定5月6日付、乃美兵部丞(宗勝)殿宛て小早川隆景書状。
  14. ^ 山本浩樹 2007, p. 172.
  15. ^ 三卿伝編纂所 1984, p. 172.
  16. ^ 『閥閲録』巻11「浦図書」10号、永禄13年比定5月22日付、乃美兵部丞(宗勝)殿御宿所宛て毛利元就書状。
  17. ^ 三卿伝編纂所 1982, p. 136.
  18. ^ a b 三卿伝編纂所 1982, p. 85.
  19. ^ 三卿伝編纂所 1982, p. 89.
  20. ^ 『閥閲録』巻11「浦図書」50号、天正4年比定10月15日付、小早川左衛門佐(隆景)殿宛て足利義昭判物。
  21. ^ 『閥閲録』巻11「浦図書」45号、天正4年比定10月22日付、(乃美)宗勝宛て無庵紹意書状。
  22. ^ 『閥閲録』巻11「浦図書」37号、天正5年比定2月7日付、兵部丞(乃美宗勝)殿宛て小早川隆景書状。
  23. ^ 山本浩樹 2007, p. 206-207.
  24. ^ 『閥閲録』巻11「浦図書」51号、天正6年比定5月7日付、乃美兵部丞(宗勝)殿宛て真木嶋昭光判物。
  25. ^ 三卿伝編纂所 1982, p. 182.
  26. ^ 三卿伝編纂所 1982, p. 174.
  27. ^ 光成準治 2020, p. 240.
  28. ^ 山本浩樹 2007, p. 227.
  29. ^ 光成準治 2019, p. 114.
  30. ^ 三卿伝編纂所 1982, p. 237.
  31. ^ 小川雄 2020, p. 117.
  32. ^ 光成準治 2019, p. 114-115.
  33. ^ 光成準治 2019, p. 115.
  34. ^ 三卿伝編纂所 1982, p. 238.
  35. ^ 『閥閲録』巻11「浦図書」38号、天正10年比定7月5日付、乃美兵部丞(宗勝)殿宛て小早川隆景書状。
  36. ^ 川岡勉 1990, p. 87.
  37. ^ 本多博之 1996, p. 62.
  38. ^ 本多博之 1996, p. 20.
  39. ^ 本多博之 1996, p. 81.
  40. ^ 三卿伝編纂所 1982, p. 477-479.
  41. ^ 本多博之 1993, p. 9.
  42. ^ a b 本多博之 1996, p. 66.
  43. ^ 『小早川家文書』附録「浦家文書」第36号、年不詳11月27日付、(乃美)兵部丞殿宛て小早川隆景自筆書状。
  44. ^ 『浄土寺文書』第54号、年不詳12月25日付、木梨隆盛宛て乃美宗勝・児玉就忠連署状。
  45. ^ 松井輝昭 1999, p. 72-74.
  46. ^ 『小早川家文書』第475号、小早川家座配書立。
  47. ^ 光成準治 2019, p. 48.
  48. ^ a b c d 城市真理子 2017, pp. 59–60.
  49. ^ a b 本多博之 2017, p. 80.


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乃美宗勝(のみ むねかつ)

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毛利元就 誓いの三矢」の記事における「乃美宗勝(のみ むねかつ)」の解説

小早川家臣。能美島本拠とする水軍の将。(海賊

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