河野通宣・村上通康、毛利氏に救援を依頼とは? わかりやすく解説

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河野通宣・村上通康、毛利氏に救援を依頼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 00:44 UTC 版)

毛利氏の伊予出兵」の記事における「河野通宣・村上通康、毛利氏に救援を依頼」の解説

9月21日河野軍は土佐国から大洲へ向かう街道沿いの城2つ確保した。しかし、村上通康は、安芸国吉田郡山城毛利氏使者送り小早川軍伊予出陣支援要請した毛利元就過去村上通康支援受けたことを感謝し、「厳島恩返し」と称して支援決定小早川隆景はこの要請を受け、10月18日一門であった梨子羽氏大将として備後国200派遣することを決定した村上通康はもはや河野軍だけでは事態の収拾不可能と考えこのような援軍要請至ったのである。しかし、その通康は陣中にて急病倒れ毛利援軍決定する前の10月2日もしくは10月27日)に、帰還した道後死去した村上通康死去によって、毛利軍伊予出兵宙に浮いたとなったが、小早川隆景はこの戦を放棄せず、自身戦いとして伊予出兵することに決定した。しかし、伊予情勢にもっとも詳しい乃美宗勝が、大友氏との戦い備えて九州出陣しており、すぐの帰還難し状況にあった11月3日書状で、小早川隆景乃美宗勝宛てて書状出し、「伊予国での一条氏との戦いは我々の援軍なければ立ち行かぬ」と述べている。また隆景は来島村上氏一族村上吉継とも緊密に連絡取り軍事行動を展開すべく相談重ねた村上吉継を案内役として、同年冬、伊予国へと出陣することとなった

※この「河野通宣・村上通康、毛利氏に救援を依頼」の解説は、「毛利氏の伊予出兵」の解説の一部です。
「河野通宣・村上通康、毛利氏に救援を依頼」を含む「毛利氏の伊予出兵」の記事については、「毛利氏の伊予出兵」の概要を参照ください。

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