村上水軍調略と厳島の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/31 05:39 UTC 版)
「乃美宗勝」の記事における「村上水軍調略と厳島の戦い」の解説
大永7年(1527年)、乃美賢勝の第4子として生まれる。父は浦元安の養子であったが、元は小早川敬平の弟・是景から始まる乃美氏で乃美弘平の弟にあたり、その為、宗勝は乃美姓を名乗った。同じ乃美氏の乃美隆興は従兄。小早川氏の家督を継承した小早川隆景に仕えた。天文24年(1555年)の厳島の戦いでは自身の血縁関係もあり(村上吉充、村上武吉とは血縁)、村上水軍を味方に引き入れるべく交渉し、毛利元就の「一日だけ軍船をお借りしたい」との言葉を伝えたとされる。村上通康らは決断を下し、宗勝は村上水軍を味方に引き入れ、厳島の戦いの勝利、そして陶晴賢の自害に一役も二役も買うこととなる。
※この「村上水軍調略と厳島の戦い」の解説は、「乃美宗勝」の解説の一部です。
「村上水軍調略と厳島の戦い」を含む「乃美宗勝」の記事については、「乃美宗勝」の概要を参照ください。
- 村上水軍調略と厳島の戦いのページへのリンク