村上泰亮「文明の多系史観」とは? わかりやすく解説

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村上泰亮「文明の多系史観」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 14:32 UTC 版)

枢軸時代」の記事における「村上泰亮「文明の多系史観」」の解説

1979年公文俊平佐藤誠三郎との共著として『文明としてのイエ社会』を刊行した理論経済学村上泰亮は、同年から翌年にかけて『中央公論』誌に「批判的歴史主義向かって」と題する論文を8回にわたって連載したそのなかで村上は、世界的な視野立てば歴史発展過程本質的には多系的であるとして、西欧型とは異な近代化の途、プロセスがあることを示しトインビー史観梅棹忠夫生態史観などを批判して従来一元的発展史観を克服するものとして多系的歴史観唱えた。さらに、ユーラシア大陸の3大文明、すなわちヨーロッパ古典古代インド中国の歴史比較して農業文明期とくにその後半における歴史的多系化の要因に関する多く仮説提唱した村上によれば約1万年前中近東の「肥沃な三日月地帯」における定着農耕始まり伊東のいう「農業革命」)は、紀元前一千年紀における「有史宗教」の成立伊東のいう「精神革命」)と、それにもとづく文明大帝国古典古代インド中国)の成立によって二分される。村上また、有史宗教の有無によって精神革命以前第一次農耕文明以後第二次農耕文明呼んでいる。 また、人間集団存続その内外で正統化する根拠で最も有力なものとして「血縁キンシップkinship )」を掲げ、これが人類最古組織原理であったろうと村上推定する。そして、定着農耕開始期に比較平等な血縁集団である氏族クランclan )がみられたことは歴史的な事実として確認されており、農業生産高まりに応じて集団規模拡大すると、それにともなって自らの祖先たちを位階的に体系化する伝承神話各地生まれたとする。 「位階神話」 は祖先神体系修正ないし拡大ほどこして、実際に血縁つながりのない人びとをも想像上血縁関係のなかに取り込んでいき、家族リニージ(同祖集団) → クラン氏族) → クラン連合部族) → 部族連合民族)へと、血縁正統化の論理によって拡大される。こうして事実上血縁関係後退神話的な血縁関係によって補完され首長制から王制への連続的な進化なされる村上は、都市生み出した各種古代文明のうち、最も非血縁的であるかにみえるメソポタミア文明においても、その宗教内実は「位階神話高度化であった評価しエジプトでも同様にみられる神々階層化広大な宇宙論との集大成こそが、宗教学者ロバート・ニーリー・ベラーのいう「古代宗教」である、とする。 R.N.ベラーは、古代宗教有史宗教分け基準として、あらゆる有史宗教超越的で、普遍主義的であることを指摘している。東方儒教・仏教ヒンドゥー教場合抽象的な宇宙原理西方キリスト教イスラーム教場合創造神でもある唯一神にもとづいた現世超える世界をもち、何らかのかたちで現世拒否的部分内包して神話束縛から抜け出している。また、人間どのような民族出身であるか、あるいはどの神に仕えているかではなく血縁的な原理超えてすべての人間救済可能なものとして等し存在となる。村上は、東西のこれらの世界宗教加えソクラテス以降ギリシャ哲学ゾロアスター教ジャイナ教道教も「有史宗教」あるいはそれに準ずるものとして掲げているが、これらはまさにヤスパースが「枢軸時代」で掲げた思潮であった有史宗教の発生すなわち「精神革命」が何によってもたらされたかについて、村上は「鉄器使用」という契機検討するが、ギリシャよりも中近東はるかに豊富であることを理由としてこれを排し階層的血縁社会という共通の枠組みありながら互いに非常に異質であった農耕社会遊牧民社会中国においては非農耕的な民族社会)とが接触し交渉し反応しあったことに原因求めている。 いずれにせよ有史宗教世界宗教高等宗教)とそれにもとづく第二次農耕文明においては古典古代インド中国ともに互いに相違する点を有しながらも、以下の2点において共通の基本型認められる第一にそれぞれの農耕文明異な種族地域統合するような文明原理をもっており、人びとはその文明原理ないし有史宗教受容する限りにおいて、その文明成員でありえた。中国でもインドでも無数の言語使用され外来種族の出身者もしばしば皇帝となった。にもかかわらず中国文明インド文明依然として存続しつづけたギリシャ・ローマ古典古代においては包容力という点では東方文明比較してむしろ劣っており、各ポリス市民あるいはローマ市民資格容易に血縁原則から解き放たれることがなく、有史宗教取り込んで吸収することにも失敗した第二に、第二次農耕文明は、重層的複合的な社会システムによって成り立っている。下層形成する農耕民や民衆は、依然として血縁的な集団のかたちに組織されるいっぽう上層形成する帝国統治システムは、中国官僚制インドカースト制、また古典古代共和制の、いずれも血縁から脱却されたかたちでの規範化がなされている。その結果生じたのは中国インドでは統合力の稀薄化であり、古典・古代では早すぎるローマ帝国崩壊でなかったか、としている。 村上は、このように述べて有史宗教」が農耕文明変質果たした役割強調し、それを組織原理という観点から論じているのである

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