村上泰亮「文明の多系史観」
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「枢軸時代」の記事における「村上泰亮「文明の多系史観」」の解説
1979年に公文俊平、佐藤誠三郎との共著として『文明としてのイエ社会』を刊行した理論経済学の村上泰亮は、同年から翌年にかけて『中央公論』誌に「批判的歴史主義に向かって」と題する論文を8回にわたって連載した。そのなかで村上は、世界的な視野に立てば、歴史発展の過程は本質的には多系的であるとして、西欧型とは異なる近代化の途、プロセスがあることを示し、トインビー史観や梅棹忠夫の生態史観などを批判して、従来の一元的発展史観を克服するものとして多系的歴史観を唱えた。さらに、ユーラシア大陸の3大文明、すなわちヨーロッパ古典古代、インド、中国の歴史を比較して農業文明期とくにその後半における歴史的多系化の要因に関する多くの仮説を提唱した。 村上によれば、約1万年前に中近東の「肥沃なる三日月地帯」における定着農耕の始まり(伊東のいう「農業革命」)は、紀元前一千年紀における「有史宗教」の成立(伊東のいう「精神革命」)と、それにもとづく文明大帝国(古典古代・インド・中国)の成立によって二分される。村上はまた、有史宗教の有無によって精神革命以前を第一次農耕文明、以後を第二次農耕文明と呼んでいる。 また、人間集団の存続をその内外で正統化する根拠で最も有力なものとして「血縁(キンシップ、kinship )」を掲げ、これが人類最古の組織原理であったろうと村上は推定する。そして、定着農耕開始期には比較的平等な血縁的集団である氏族(クラン、clan )がみられたことは歴史的な事実として確認されており、農業生産の高まりに応じて集団規模が拡大すると、それにともなって自らの祖先たちを位階的に体系化する伝承や神話が各地に生まれたとする。 「位階化神話」 は祖先神の体系に修正ないし拡大をほどこして、実際には血縁のつながりのない人びとをも想像上の血縁関係のなかに取り込んでいき、家族 → リニージ(同祖集団) → クラン(氏族) → クラン連合(部族) → 部族連合(民族)へと、血縁的正統化の論理によって拡大される。こうして事実上の血縁関係の後退は神話的な血縁関係によって補完され、首長制から王制への連続的な進化がなされる。村上は、都市を生み出した各種の古代文明のうち、最も非血縁的であるかにみえるメソポタミア文明においても、その宗教の内実は「位階化神話の高度化」であったと評価し、エジプトでも同様にみられる神々の階層化と広大な宇宙論との集大成こそが、宗教学者ロバート・ニーリー・ベラーのいう「古代宗教」である、とする。 R.N.ベラーは、古代宗教と有史宗教を分ける基準として、あらゆる有史宗教は超越的で、普遍主義的であることを指摘している。東方の儒教・仏教・ヒンドゥー教の場合は抽象的な宇宙原理、西方のキリスト教・イスラーム教の場合は創造神でもある唯一神にもとづいた現世を超える世界をもち、何らかのかたちで現世拒否的な部分を内包して、神話の束縛から抜け出している。また、人間はどのような民族の出身であるか、あるいはどの神に仕えているかではなく、血縁的な原理を超えて、すべての人間が救済可能なものとして等しい存在となる。村上は、東西のこれらの世界宗教に加え、ソクラテス以降のギリシャ哲学、ゾロアスター教、ジャイナ教、道教も「有史宗教」あるいはそれに準ずるものとして掲げているが、これらはまさにヤスパースが「枢軸時代」で掲げた諸思潮であった。 有史宗教の発生すなわち「精神革命」が何によってもたらされたかについて、村上は「鉄器の使用」という契機を検討するが、鉄はギリシャよりも中近東ではるかに豊富であることを理由としてこれを排し、階層的血縁社会という共通の枠組みにありながらも互いに非常に異質であった農耕社会と遊牧民の社会(中国においては非農耕的な民族の社会)とが接触し、交渉し、反応しあったことに原因を求めている。 いずれにせよ、有史宗教(世界宗教、高等宗教)とそれにもとづく第二次農耕文明においては、古典古代、インド、中国ともに互いに相違する点を有しながらも、以下の2点において共通の基本型が認められる。 第一に、それぞれの農耕文明は異なる種族や地域を統合するような文明の原理をもっており、人びとはその文明原理ないし有史宗教を受容する限りにおいて、その文明の成員でありえた。中国でもインドでも無数の言語が使用され、外来種族の出身者もしばしば皇帝となった。にもかかわらず、中国文明、インド文明は依然として存続しつづけた。ギリシャ・ローマの古典古代においては、包容力という点では東方文明に比較してむしろ劣っており、各ポリス市民あるいはローマ市民の資格は容易に血縁的原則から解き放たれることがなく、有史宗教を取り込んで吸収することにも失敗した。 第二に、第二次農耕文明は、重層的・複合的な社会システムによって成り立っている。下層を形成する農耕民や民衆は、依然として血縁的な集団のかたちに組織されるいっぽう、上層を形成する帝国統治のシステムは、中国の官僚制、インドのカースト制、また古典古代の共和制の、いずれも血縁から脱却されたかたちでの規範化がなされている。その結果、生じたのは中国、インドでは統合力の稀薄化であり、古典・古代では早すぎるローマ帝国の崩壊でなかったか、としている。 村上は、このように述べて「有史宗教」が農耕文明の変質に果たした役割を強調し、それを組織原理という観点から論じているのである。
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