大内輝弘とは? わかりやすく解説

大内輝弘(おおうち てるひろ) 1520~1569


大内輝弘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/26 01:31 UTC 版)

大内 輝弘(おおうち てるひろ)は、戦国時代武将大内氏第14代当主・大内政弘の次男・大内高弘の子。子に大内武弘(たけひろ)。通称は太郎左衛門尉[1]。系図によると、はじめ隆弘(たかひろ)、氷上太郎と名乗っていたという[1]。大内氏の第18代の当主とする場合もあるが、輝弘に実権は無かったとみられる。


注釈

  1. ^ 天文23年以前は義輝は「義藤」と名乗っていたので、それ以前に「輝」の字を賜っていないことは確かである。しかし、天文23年当時、輝弘は30歳を超えており、既に元服を済ませている筈だが、輝弘と名乗るまでに名乗っていた初名は不明である。

出典

  1. ^ a b 『大内系図』
  2. ^ 『橘山遺事』


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