毛利氏の九州進出
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 05:30 UTC 版)
永禄9年(1566年)に出雲国の尼子氏を滅ぼした毛利元就は、永禄11年(1568年)には伊予国へと出兵、河野氏を支援して後方の憂いを断った(毛利氏の伊予出兵)。 そして、永禄12年(1569年)に大内氏の後継を自認して博多の権益を狙い、大友領であった豊前国・筑前国への侵攻を開始した。同年5月、博多を守る要衝であった立花山城を攻略、大友宗麟と全面対決へと至った。九州へ侵攻した毛利氏は、筑前国の国人らを味方に引き入れた。
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