上屋敷とは? わかりやすく解説

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かみ‐やしき【上屋敷】

読み方:かみやしき

江戸時代上級武士、特に諸国大名江戸市中設けて平常住まいとした屋敷。→中屋敷 →下(しも)屋敷


上屋敷

読み方:アガリヤシキagariyashiki

江戸時代犯罪者から没収し官有にした宅地屋敷

別名 明地(あけち)、割残地(わりのこしち)


上屋敷

読み方:カミヤシキ(kamiyashiki)

江戸時代藩邸のうち、在府中に平常住居とした屋敷


上屋敷

読み方:カミヤシキ(kamiyashiki)

所在 福島県耶麻郡猪苗代町


上屋敷

読み方:カミヤシキ(kamiyashiki)

所在 和歌山県田辺市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

武家屋敷

(上屋敷 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/29 07:08 UTC 版)

『洛中洛外図』に描かれた花の御所

武家屋敷(ぶけやしき)は、武家が居住した生垣や塀、門等に囲まれた屋敷[1]。なお、「武家住宅」という概念もあり、これは本来は「武家社会各層の住宅を包括する概念」とされる[2]。近世の城下町では、上級武士が城郭から近い中堀内に生垣や塀で囲まれた屋敷(武家屋敷)を構え、足軽等の下級武士の住居はその外周に配された足軽長屋等に居住していた[1]

概要

江戸初期の武家屋敷が数多く描かれる江戸図屏風

日本建築史の研究では、第二次世界大戦前まで、古代、中世、中世末から近世に区分し、それぞれ寝殿造武家造(主殿造)、書院造に対応させる考え方が通説となっていた[3]。戦後、太田博太郎が『図説日本住宅史』において、中世の住宅様式を一つとせず、古代の寝殿造と近世の書院造や大書院造を対極に捉えて中世をその過渡的段階と主張し、昭和30年代にはこの考え方が大勢を占めるようになった[3]

平安時代の貴族社会で生まれた「寝殿造」は、鎌倉時代以降になると武士の生活スタイルに合わせたものとなり、特に接客儀礼の必要性に対応するとともに、禅宗建築の影響を受けて「書院造」という独自の様式に発展した[4]。この中世に発生し近世初期に完成した「書院造」の発展過程の中で、「武家造」あるいは「主殿造」と呼ばれる中世の武家住宅の形式が出現した[4]

室町時代には会所対面所といった建築に象徴される独自の様式を持つようにった。安土桃山時代になると書院造は上段・下段の空間構成や障壁画を始めとする絢爛な装飾を備え、権力者の権勢を示す荘厳で格式の高いものとなった。なお、床の間といった書院造の要素の一部は江戸時代になると武士や上層農民などの住宅にも取り入れられ、明治以降は民家にも普及するようになった。

明治維新後、諸大名の上屋敷江戸幕府から与えられたもの(拝領屋敷)であったため、新政府により接収され、殆どが解体され政府の施設などへと姿を変えた。武家個人の所有であった下屋敷は本邸として用いられることもあったが、武家公家と共に華族へと移行し、また建築の近代化により武家屋敷・公家屋敷といった峻別は意味を成さなくなった。こうして武家屋敷は姿を消していくが、代わりに武士の屋敷(侍屋敷)が武家屋敷と呼ばれるようになり、侍屋敷が多く残る地区(侍町)も武家町や武家屋敷通りなどと呼ばれるようになった。

近世の武家屋敷

大名屋敷

越前福井藩松平忠昌上屋敷(龍ノ口屋敷)再現模型
旧因州池田屋敷表門(重要文化財)
大名屋敷の門
加賀藩上屋敷御守殿門
東京大学構内、重要文化財)

大名屋敷(だいみょうやしき)は、その大名が仕える主人の屋敷や城の付近や内側に構えた屋敷である。人質を住まわせるための施設や天下普請のための宿舎と工事事務所を意味していることもあった[5]

各大名はそれぞれの居城の城下町に国許屋敷を設け[2](城に代わって陣屋を置いた藩もある[1])、一方で参勤交代の制度のもとで江戸には江戸屋敷を設けた[6]江戸藩邸も参照)。大名家中にある武家住宅の形式には独立住宅と長屋があり、長屋は国許にも江戸にもあった[2]

国許屋敷は城下町に置かれた屋敷をいう[2]。近世の城下町では大名等の領主の居城を中心に、城下に家臣や町人が集住したが、「武家地」や「町人地」のような土地の利用区分が設けられた[1]

一方、江戸に置かれた江戸屋敷は所持の形態により拝領屋敷と抱え屋敷に分けられる[6]

  • 拝領屋敷 - 幕府から拝領した江戸屋敷であり、大半は拝領屋敷であった[6]
  • 抱え屋敷 - 大名が周辺の農民等から土地を買い上げて屋敷に取り込んだものである[6]

また、多くの大名は江戸屋敷を複数持っており[6]、その機能により、上屋敷、中屋敷、下屋敷、蔵屋敷に分類されるが、これらの種別は一定不変ではなく機能の移行や転換もみられた[7]。一般的には以下のような機能を持っていた。

  • 上屋敷(かみやしき) - 藩主が居住する屋敷(居屋敷)であり、その家族や家臣も居住する[6][7]。藩役所も置かれ政務を執る場所でもあった[6][7]
  • 中屋敷(なかやしき) - 上屋敷の焼失時などに臨時に居屋敷とされたり、隠居した元藩主や世子が居住した[6][7]
  • 下屋敷(しもやしき) - 中屋敷の控え(罹災時の避難先)のほか、大名庭園などを設けて別荘としての性格をもつこともあった[6][7]
  • 蔵屋敷(くらやしき) - 主に倉庫や資材置き場として用いられ、沿岸部に置かれることが多かった[7]

このほか京都に屋敷を設けた藩もある(京屋敷[6]。また、大坂の堂島などに蔵屋敷を設けた藩もある[6]

旗本屋敷

旗本屋敷(はたもとやしき)は旗本が主君の知行に置いた屋敷を意味するが、狭義では「江戸幕府に仕える直参旗本の屋敷」の意味である。俗に「旗本八万騎」と言われた江戸には故に、多くの旗本屋敷が建ち並び、旗本屋敷街と呼べる区域が形成されていた。これらは個人の所有ではなくあくまで幕府の所有であり、役職や知行の変更などの理由によって、割と頻繁に屋敷替えが行われた。

武家町

江戸の武家町。幕末に愛宕山から撮影。

武家町は江戸や大坂、京都などに武家屋敷が集中し形成された街並みである。特に江戸には数多くの武家屋敷が設置され、江戸の面積の約50パーセントが武家屋敷で占められていた。明治以降、武家屋敷と共に武家町も消滅したが、現代では侍町を武家町と呼ぶことが多くなっている。

侍屋敷

侍屋敷の概要

侍屋敷(さむらいやしき)は、武家に属さない中級・下級武士の住まう邸宅のことである。現代では本来の武家屋敷が殆ど消滅していることもあり、むしろ侍屋敷の方が武家屋敷と呼ばれることが多くなっている。ここでは現代における武家屋敷として侍屋敷を扱うが歴史的には武家屋敷と侍屋敷は異なるものであったことに注意が必要である。

侍屋敷は主に城下や陣屋の周囲など主君の居所の周囲に形成され、この集中を侍町と呼ぶ。基本的に主君の居所から近いほど身分の高い人物が住み、遠くなるほどに身分の低い人物が住んだ。特に家老を始めとする重臣は藩主の居所の近隣や城内に住むことも多かった。一方、身分の低い侍は町屋に隣接した場所に住まうこともあり、中には町屋そのものに住む例もあった。また、侍屋敷の更に外側には足軽の屋敷(足軽屋敷組屋敷)や長屋足軽長屋組長屋)が置かれ、これらは防衛上の観点から城下の入口などに集中して建てられることが多かった。

戦国時代までは武士の多くがそれぞれの領地に住んでおり、平時は農業に従事していたので、この時代の侍屋敷は名主屋敷(東日本)や庄屋屋敷(西日本)、或いは代官屋敷などと呼ばれている。近世になり兵農分離が行われると、城下町に侍屋敷が集められ、侍町が形成されるようになった。侍町の多くは城郭の防御を意識して三の丸や外郭内などに計画的に配置され、基本的には城に近いほど身分が高く城から離れるほど身分の低い者の屋敷が建てられていた。こうした侍屋敷はその武士が所有するものではなく仕える主人から与えられるもので、出世や降格などにより地位が変われば屋敷も相応のものに替えられ、主人が転封となればその屋敷は明け渡さなければならなかった。ただし、主に上級の武士は郊外などに個人的に別邸(下屋敷)を構えることもあった。陣屋においては敷地内に小規模な侍屋敷を構えて住まわせることもあった。重臣クラスの侍屋敷では土塀長屋門、式台を構え、下級のものでも書院造の座敷を設けるなど、格式を示す意匠が施されていた。

また、江戸時代には、上級の社家医者忍者なども武士に準じる身分・格式とされ、屋敷の様式も、概ね武士の屋敷に準じるものである。

侍町

秋田県仙北市角館の武家屋敷通り
篠山伝建地区の御徒士町武家屋敷群
島根県松江市の塩見縄手
長崎県島原市の武家屋敷街
鹿児島県南九州市知覧町郡の武家屋敷通り

侍町(さむらいまち)とは、侍屋敷が集まってできた町のことである。城下町陣屋町の中にあることが多く、城や陣屋に関わる武士が居住した。現在は武家町と呼ばれることもあるが、武家町とは元来は大名や上級旗本の屋敷が集まった地域のことであった。

明治維新により侍屋敷は多くが国有地となり、売却・破却され、また戦災や都市開発により失われた。しかし、侍町の町並みを現在に伝える地域もあり、その一部は重要伝統的建造物群保存地区として選定されている。

その他

平家の落人伝承を持つ徳島県三好市東祖谷(旧東祖谷山村)、長崎県五島市福江島)にも「武家屋敷」と呼ばれる住まいがある。東祖谷の外観は農家と同じく、五島市は民家の門塀にのみ面影を残す。

侍屋敷の関連項目

足軽屋敷

武士身分に含まれない(士分を持たない)足軽の住まいは侍屋敷とは呼ばれず、足軽屋敷と呼ばれた。下級の足軽は屋敷ではなく長屋形式の住宅であったため、この長屋は足軽長屋と呼ばれる。現代においては足軽屋敷も武家屋敷と呼ぶことがある。

脚注

  1. ^ a b c d 2 歴史まちづくりの特性の見方・読み方”. 国土技術政策総合研究所. 2025年5月29日閲覧。
  2. ^ a b c d 羽深久夫「江戸時代後期の城下町における中・下級武家住宅に関する研究」、熊本大学。 
  3. ^ a b 平井 聖「日本住宅史の様式区分について」『日本建築学会論文報告集』第69.2巻、熊本大学、769-772頁。 
  4. ^ a b 滋賀県文化財教室シリーズ 187号 国宝・園城寺光浄院客殿”. 財団法人滋賀県文化財保護協会. 2025年5月29日閲覧。
  5. ^ 東京都市史研究所編 『比較考証 江戸東京古地図散歩』 新人物往来社 1999年
  6. ^ a b c d e f g h i j k 古泉 弘「武家屋敷の考古学」『秋田県埋蔵文化財センター研究紀要』第22号、秋田県埋蔵文化財センター。 
  7. ^ a b c d e f 渋谷 葉子「大名江戸屋敷の機能的秩序-尾張藩を素材として-」『徳川林政史研究所研究紀要』第22号、公益財団法人徳川黎明会。 

参考文献

関連項目


上屋敷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 14:28 UTC 版)

吉良義央」の記事における「上屋敷」の解説

鍛冶橋吉良邸 - 元禄11年1698年9月6日まで。現在はパシフィックセンチュリープレイス丸の内千代田区丸の内1-11-1呉服橋吉良邸 - 元禄14年1701年8月19日まで。敷地は約2700坪あり、上杉綱憲(義央の実子)が建築2万5000両余を提供している。現在は大丸グラントウキョウノースタワーが建つ。千代田区丸の内1-9-1本所吉良邸 - 元禄赤穂事件当夜に、義央が在邸し絶命、義周が重傷。のちに複数旗本屋敷として使用墨田区両国3-13-9。吉良邸内稲荷社明治期神社合祀による吉良神社松坂稲荷神社統合)の奥手に義央の墓がある。

※この「上屋敷」の解説は、「吉良義央」の解説の一部です。
「上屋敷」を含む「吉良義央」の記事については、「吉良義央」の概要を参照ください。

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