し び [1] 【鴟▼尾・鵄▼尾】
鴟尾
主名称: | 鴟尾 |
指定番号: | 509 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1996.06.27(平成8.06.27) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 考古資料 |
ト書: | 三重県辻垣内瓦窯跡出土 |
員数: | 2箇 |
時代区分: | 奈良 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 本件は、三重県一志郡嬉野町釜生田辻垣内に所在する瓦窯跡から出土した、復元された二箇の鴟尾である。遺跡は、赤目、青山の高地に発した中村川が東流して、狭隘な開析谷から伊勢平野に抜け出て、大きく蛇行する左岸の段丘斜面、標高約四〇メートルに立地している。 昭和五十九年、嬉野町教育委員会による調査で、あな窯【がま】三基、平窯二基の所在が明らかにされ、このうち崩壊の危険がある二・三・五号窯について、発掘が行われた。鴟尾は、二箇とも二号窯から出土したものである。この窯跡は、現存長六・五メートルのあな窯で、焼成室長二・四メートル、同幅一・二メートル、燃焼室は、長二・〇メートルを測る。煙道は削平されていた。焼成室には二段の大きな焼成段をつくり、それぞれの焼成段から鴟尾がまとまって出土した。なお、燃焼室側壁に凸面布目痕のある平瓦【ひらがわら】を使用しており、窯の周辺からは少量、複合線鋸歯文縁複弁八弁連華文軒丸瓦【ふくごうせんきよしもんえんふくべんはちべんれんげもんのきまるがわら】と重弧文軒平瓦【じゆうこもんのきひらがわら】が出土している。 鴟尾1は、焼成室上段から破砕した状態で出土し、遺存率は約八五パーセント。ほとんどの破片が遺存する。鰭【ひれ】部と胴部との間に幅約一〇センチの連珠【れんじゆ】帯を巡らし、径四センチの珠文【しゆもん】三九箇を配置する。胴部には、鱗【うろこ】などの表現はなく無文。鰭は、段状に削り出して先端まで回り、頭部先端は幅二センチの突帯で縁取られる。胴部の連珠帯近く、下端から約三二センチの位置に、降棟丸瓦【くだりむねまるがわら】を差し込む半円弧の透かし孔がある。製作技法を見ると、表面はヘラ削り、ハケ目で調製しているが、腹部の一部に斜格子タタキ痕が残る。突帯と鰭は、ヘラで削り出しており、珠文は球体から捻り出した突起先端を胴部に穿った径二・五センチ、深さ三センチ前後の円孔に差し込んでいる。色調は暗褐色を呈し、焼成は堅緻である。 鴟尾2は、焼成室の下段から、破砕した状態で出土、遺存率は約五五パーセント。鴟尾1よりも全体に厚手で大きく、胴部は無文、連珠もなく極めて簡単な造形である。胴部の半円弧透かしは、下端から約四〇センチの位置に穿けている。腹部半円形透かしは遺存しない。鰭は、先端まで回り、連珠帯と頭部突帯を除くと、全体の形状、製作技法ともに鴟尾1とよく似ている。色調は暗褐色を呈し、焼成は堅緻である。 これら二箇の鴟尾は全体の形状からみた様式的特徴と出土瓦類の年代観から、七世紀後半、いわゆる白鳳【はくほう】時代のものである。これまで、鴟尾の破片が出土した寺院跡は多いが、全形を復元できる白鳳時代の鴟尾は、極めて少ない。現段階では、二箇の鴟尾が果たしてどこの寺院に供給される予定であったかは不明である。しかし、周辺には、天花寺【てんげじ】廃寺、一志【いつし】廃寺(東福寺)、上野【うえの】廃寺(円光寺)、嬉野【うれしの】廃寺、以上の四箇所の白鳳時代寺院跡が知られており、これらとの関連も見逃せない。 本件は、白鳳時代鴟尾の全形を知る資料としては恰好のものであり、寺院の伽藍【がらん】装飾の姿を知るうえでも、極めて貴重な学術資料である。 |
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