藤原宮とは? わかりやすく解説

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藤原宮

読み方:フジワラノミヤ(fujiwaranomiya), フジワラキュウ(fujiwarakyuu)

古代宮城持統天皇遷都


藤原宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/24 10:10 UTC 版)

藤原宮(ふじわらのみや)は、古代の日本大和の藤原の地(現在の奈良県橿原市)に営まれた宮殿である。5世紀のものと、7-8世紀694年から710年まで)のものの2つがある。


  1. ^ 允恭天皇が遠飛鳥宮へ遷都した記述は『古事記』にはあるが『日本書紀』にはない。『日本書紀』の場合、河内の丹比の地(現在の大阪府松原市)に営まれた反正天皇の丹比柴籬宮を使い続けている可能性もある。
  2. ^ 『日本書紀』巻第13、允恭天皇7年12月壬戌朔条、同8年2月条。
  3. ^ 『日本書紀』巻第13、持統天皇4年10月壬申条、同8年春12月乙卯条。
  4. ^ 『続日本紀』巻第5、和銅3年3月辛酉条。


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藤原宮

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/01 03:30 UTC 版)

藤原京」の記事における「藤原宮」の解説

藤原宮の調査結果宮城内に、宮城外の街路延長線上で同じ規格街路痕跡が見つかっている。通常宮城内には一般の人が通行する街路があるはずがないので、藤原京建設予定地ではまず全域格子状街路建設しそののち宮城位置と範囲決定してその分街路廃止した考えられるそのことは、薬師寺跡の発掘でも立証されている。 藤原宮はほぼ1km四方広さであった周囲をおよそ5mほどの高さの塀で囲み東西南北の塀にはそれぞれ3か所、全部12か所に門が設置されていた。南の中央の門が正面玄関に当たる朱雀門である。塀の構造は、2.7m間隔に立つとそれで支えた高さ5.5mの瓦屋根太さ4、50cmのの間をうめる厚さ25cmの土壁が藤原宮の大垣である。平城宮発掘調査で、藤原宮から再利用したもの発見されている。藤原宮は、南北約600m、東西約240mにおよぶ日本最大規模を持つ朝堂院遺構である。大極殿基壇東西約52m、南北約27m)などの建物礎石建築がなされ、中国風に日本宮殿建築でははじめて瓦を葺いた建築なされていた。 朝堂院南門列柱実際位置から北20メートル標示後背耳成山朝堂院東門列柱実際位置から北10メートル標示後背天香久山朝堂院西門列柱推定位置から北10メートル標示後背畝傍山

※この「藤原宮」の解説は、「藤原京」の解説の一部です。
「藤原宮」を含む「藤原京」の記事については、「藤原京」の概要を参照ください。

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