藤原宣房 (鎌倉時代前期の公家)とは? わかりやすく解説

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藤原宣房 (鎌倉時代前期の公家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/22 23:48 UTC 版)

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藤原 宣房(ふじわら の のぶふさ、生没年不詳)は、鎌倉時代前期の公家藤原北家勧修寺流参議九条光長の三男。官位正四位下左大弁

経歴

後鳥羽院政期承元2年(1208年)右少弁に任ぜられると、承元3年(1209年)権右中弁次いで右中弁、承元5年(1211年) には正月に左中弁、9月に右大弁、10月に左大弁と、弁官として順調に昇進を重ねる。

左大弁を2年ほど務めて位階正四位下に至るが、公卿昇進はならず、建保2年(1214年)正月に参議三条公定が左大弁を兼ねていることから、これまでに宣房は左大弁を去った見られる。あるいは卒去したか。

官歴

『弁官補任』による。

系譜

尊卑分脈』による。

  • 父:九条光長
  • 母:藤原俊経の女
  • 生母不詳の子女
    • 男子:藤原宣通
    • 男子:忠慶
    • 男子:宣厳

参考文献




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