衣通郎姫とは? わかりやすく解説

衣通姫

(衣通郎姫 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/08/12 04:15 UTC 版)

衣通姫(菊池容斎前賢故実』より)
茅渟宮跡(大阪府泉佐野市)

衣通姫(そとおりひめ[1]、そとほりひめ[1]、そとおしひめ)は、記紀にて伝承される女性。『日本書紀』では 衣通郎姫 そとおしのいらつめ[1]、『古事記』では衣通郎女[1] 衣通王 そとおりのみこと表記され、叔母と姪の関係にある別の人物の名である。大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっており[1]本朝三美人の一人に数えられる。和歌に優れていたとされ、和歌三神の一柱としても数えられる[1]

記紀の間で衣通姫の設定が異なる。

古事記』には、允恭天皇皇女[1] 軽大郎女 かるのおおいらつめの別名[1]とし、同母兄である 軽太子 かるのひつぎのみこと情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する(衣通姫伝説)。

日本書紀』においては、允恭天皇の皇后忍坂大中姫の実妹・ 弟姫 おとひめとされ[1]、允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。近江坂田(現在の滋賀県米原市)の住まいへ允恭天皇が差し向けた中臣烏賊津に対して、実姉が皇后であることを理由に入内を固辞したが、入内するまで退かないと烏賊津が7日間も庭に平伏したため、入内することとなった。しかし、実姉が皇后であるため、允恭天皇の宮とは別の宮である大和藤原宮(現在の奈良県橿原市)に住んだ。皇后が雄略天皇を出産した際に、允恭天皇が衣通郎姫の許に通っていたことが発覚するなど、允恭天皇と皇后の関係が悪化。衣通郎姫は藤原宮よりも允恭天皇の宮から遠く離れた地へ移ると允恭天皇へ奏言。これを受けて藤原宮に代わって造営された河内の茅渟宮(ちぬのみや、現在の大阪府泉佐野市)へ衣通郎姫は移り住んだ[1]。允恭天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。皇后がこれを諌め諭すと、以後の行幸は稀になったという。

允恭天皇の宮は『古事記』には遠飛鳥宮(とおつあすかのみや)へ遷都した記述があるが、『日本書紀』にはない。『日本書紀』の場合、反正天皇の宮であった河内の丹比柴籬宮(たじひのしばかきのみや、現在の大阪府松原市)を使い続けている可能性もある。また、遠飛鳥については大和・河内のいずれであるか意見が分かれ、大和の場合は現在の奈良県高市郡明日香村、河内の場合は現在の大阪府羽曳野市などにあたる。茅渟宮の場所はのちに河内から分割された和泉日根郡上之郷に比定されており[2]、允恭天皇の宮の場所が大和飛鳥・河内飛鳥・河内丹比のいずれであっても、允恭天皇の宮からの距離は藤原宮よりも遠くなる。

紀伊で信仰されていた玉津島姫と同一視され、和歌三神の一柱であるとされる。現在では和歌山県和歌山市にある玉津島神社稚日女尊神功皇后と共に合祀されている[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i j k 衣通姫 そとおりひめ”. コトバンク. 2017年3月8日閲覧。
  2. ^ 茅渟宮跡(ちぬのみやあと)泉佐野市観光ガイド(2023年10月24日閲覧)

関連項目


衣通郎姫

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允恭天皇」の記事における「衣通郎姫」の解説

即位7年天皇皇后の妹の弟姫を妃にしようとした弟姫はその美しさ衣服通り抜けて光っている程だという意味で衣通郎姫と呼ばれていた。しかし皇后は妹の入内不快感示し、衣通郎姫自身も姉を慮って入内拒否した天皇烏賊使主(いかつのおみ)を送って衣通郎姫を説得させた。烏賊使主は庭に伏せ、懐に隠した糒を食べて飢え凌ぎながら七日七晩動かなかった。とうとう折れた衣通郎姫は入内承諾したが、宮中とは別に藤原宮奈良県橿原市)に住まった翌年2月、衣通郎姫は皇后の嫉妬理由にさらに遠方茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移った天皇遊猟かこつけて衣通郎姫の許に行幸続けた即位10年皇后諌められ、その後茅渟行幸稀になった。 以上が『日本書紀』の記す衣通姫伝説であるが『古事記』には記載がない。『古事記』天皇の娘の軽大娘皇女を衣通郎女、または衣通王としている。

※この「衣通郎姫」の解説は、「允恭天皇」の解説の一部です。
「衣通郎姫」を含む「允恭天皇」の記事については、「允恭天皇」の概要を参照ください。

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