雄略天皇とは? わかりやすく解説

ゆうりゃく‐てんのう〔‐テンワウ〕【雄略天皇】

読み方:ゆうりゃくてんのう

記紀で、第21天皇允恭天皇皇子とされる。名は大泊瀬幼武(おおはつせわかたけ)。大和朝廷勢力拡大478年、宋に使い送った倭王武比定する説がある。


雄略天皇

大泊瀬稚(幼)武皇子は「日本書紀によれば実に多く人々殺戮して天皇になったということになる。
雄略天皇は皇后草香姫を迎え三輪山の麓に泊瀬朝倉宮を営んだといわれているが、この天皇に対す評価まちまちである。
日本書紀によれば大草香皇子の子眉輪王変事で、まず同母兄の八釣白彦皇子殺害し次いで葛城円大臣屋敷逃げ込んだ眉輪王同母兄の境黒彦皇子円大臣及びその屋敷と共に焼き殺した。
そして安康天皇寵愛していた履中天皇皇子磐坂市辺押磐皇子妬み狩に誘い出し殺したとある。
これらにより「はなはだ悪しくまします天皇なり」という評を後世残した
しかし、このような評価とは別に雄略天皇の事績全国に及び、熊本県船山古墳から出土した大刀銘や埼玉県稲荷山古墳から出土した鉄剣銘に「獲加多支鹵大王」とあることからその武威全国及んでいたと考えられる
さらに高句麗侵攻受けた百済をたすけ朝鮮半島南部進出したと「日本書紀」にある。
また、宋書倭国伝」のいわゆる倭の五王」のうちの「倭王武」にあたるとされ、倭王武は「使持節都督倭・百済新羅任那加羅秦韓・慕韓七国諸軍安東大将軍倭国王」と称した
武は、「宋」、「斉」、「」の帝から安東大将軍、鎮東大将軍征東将軍称号与えられ活躍目覚しかった。
また武の祖先関東九州統一したとの記述が「宋書倭国伝」にある。
 


雄略天皇 丹比高鷲原陵
(ゆうりゃくてんのう たじひのたかわしのはらのみささぎ)

御陵写真 陵印
代   数 :第21
天 皇 名 :雄略天皇
ゆうりゃくてんのう
御   父 允恭天皇
御   母 皇后忍坂大中姫
御 陵 名 丹比高鷲原陵
(たじひのたかわしのはらみささぎ
陵   形 円丘
所 在 地 大阪府羽曳野市島泉8丁目
交通機関等 近鉄高鷲下車  北へ0.6km
陵印保管場所 古市陵墓監区事務所

雄略天皇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/12 01:30 UTC 版)

雄略天皇 (ゆうりゃくてんのう、允恭天皇7年12月 - 雄略天皇23年8月7日)は、日本の第21代天皇(在位:安康天皇3年11月13日 - 雄略天皇23年8月7日)。『日本書紀』での名は大泊瀬幼武天皇。考古学的に実在が実証されている古墳時代の天皇。


封國偏遠,作藩于外,自昔祖禰,躬擐甲冑,跋渉山川,不遑寧處。東征毛人五十五國,西服眾夷六十六國,渡平海北九十五國,王道融泰,廓土遐畿,累葉朝宗,不愆于歲。臣雖下愚,忝胤先緒,驅率所統,歸崇天極,道逕[注釈 2]假授百濟,裝治船舫,而句驪無道,圖欲見呑,掠抄邊隸,虔劉不已,每致稽滯,以失良風。雖曰進路,或通或不。臣亡考濟實忿寇讎,壅塞天路,控弦百萬,義聲感激,方欲大舉,奄喪父兄,使垂成之功,不獲一簣。居在諒闇,不動兵甲,是以偃息未捷。至今欲練甲治兵,申父兄之志,義士虎賁,文武效功,白刃交前,亦所不顧。若以帝德覆載,摧此強敵,克靖方難,無替前功。竊自假開府儀同三司,其餘咸各[注釈 3]假授,以勸忠節。
  1. ^ 延暦23年(804)に度会宮(外宮)禰宜・内人が神祇官に提出した外宮の伝承・祭祀などについて記した書。
  2. ^ 「逕」各本並作「遙」,據南史、通典邊防典改。
  3. ^ 各本並脫「各」字,據南史、通典邊防典補。
— 『宋書』倭国伝所引 倭王武上表文[29]

注釈

  1. ^ 従前葛城氏はこの時滅んだという説が通説であったが、近年ではこの時滅んだのは葛城地方南部に勢力を持つ玉田宿禰系統の葛城氏であり、葛城地方北部の葦田宿禰系の葛城氏は衰弱しながらもそれなりの勢力を保って存続したと考える説が現在では有力となっている[4]
  2. ^ 即位8年を機械的に西暦に換算すると464年となるが、『三国史記』新羅本紀によれば倭人が462年(慈悲麻立干5年)5月に新羅の活開城を攻め落とし、463年(慈悲麻立干6年)2月にも侵入したが、最終的に新羅が打ち破ったと記載されている。
  3. ^ 雄略天皇20年を西暦に換算すると476年となるが、『日本書紀』が引用する『百済記』では乙卯年(475年)とする。『三国史記』高句麗本紀・百済本紀によれば、475年(高句麗長寿王63年・百済蓋鹵王21年)9月に高句麗に都を攻め落とされて蓋鹵王は殺され、子の文周王は同年熊津に遷都している。『日本書紀』が引用する『日本旧記』では文周王でなく末多王(東城王)に久麻那利を与えたという。
  4. ^ 即位23年を西暦に換算すると479年であり、『三国史記』にも同年東城王が即位したとある。
  5. ^ ただし、『古事記』では一言主の威を畏れた雄略天皇が、弓と矢を捨て衣服まで脱いで伏し拝んだと記されている。

出典

  1. ^ (佐伯 1988)P6-8
  2. ^ (直木 2009)P15-23
  3. ^ (瀧音 2018)P160
  4. ^ (佐伯 1988)P16-18
  5. ^ (瀧音 2018)P164
  6. ^ 『日本書紀(三)』岩波書店 ISBN 9784003000434
  7. ^ 坂靖「ヤマト王権中枢部の有力地域集団」 国立歴史民俗博物館研究報告 第211 集 2018 年3月 256頁
  8. ^ 外池昇『事典陵墓参考地 もうひとつの天皇陵』(吉川弘文館、2005年)P 49-52。
  9. ^ 十河良和「日置荘西町窯系埴輪と河内大塚山古墳」『埴輪論叢』六(埴輪検討会、2007年)
  10. ^ 岸本直文『倭王権と前方後円墳』(塙書房、2020年)
  11. ^ 御由緒 | 八方除 寒川神社”. 寒川神社公式サイト. 2023年6月14日閲覧。
  12. ^ 石徹白の歴史・沿革”. www.gujo.ed.jp. 2023年6月14日閲覧。
  13. ^ 湯島天満宮縁起”. www.yushimatenjin.or.jp. 2023年6月14日閲覧。
  14. ^ Manyoshu [Book 1]” (日本語/英語). バージニア大学 (1999年). 2010年1月8日閲覧。
  15. ^ Manyoshu [Book 9]” (日本語/英語). バージニア大学 (1999年). 2010年1月8日閲覧。
  16. ^ 「画期としての雄略朝」「日本古代文物の研究」岸俊男 塙書房 1988
  17. ^ 『"空白の五世紀" 大きな発見 稲荷山出土の鉄剣から、雄略天皇の名解読』毎日新聞 1978年9月19日夕刊1面
  18. ^ (佐伯 1988)P104-105 鈴木靖民による論考。
  19. ^ a b (直木 2009)P81-82
  20. ^ (佐伯 1988)P111-112 鈴木靖民による論考。
  21. ^ (直木 2009)P82
  22. ^ (直木 2009)P82-85
  23. ^ (佐伯 1988)P113-114 鈴木靖民による論考。
  24. ^ 「ヤマト王権」岩波新書2010 44-46
  25. ^ (安本 1992)P69
  26. ^ (河内 2018)P163-206
  27. ^ a b 『東アジア民族史 1 正史東夷伝(東洋文庫264)』 平凡社、1974年、pp. 309-313。
  28. ^ a b 『倭国伝 中国正史に描かれた日本(講談社学術文庫2010)』 講談社、2010年、pp. 117-123。
  29. ^ 漢籍電子文献資料庫(台湾中央研究院)。
  30. ^ (佐伯 1988)P26-27 鈴木靖民による論考。
  31. ^ (森 2010)P7-11
  32. ^ (河内 2018)P207-228
  33. ^ (佐伯 1988)P75-76 鈴木靖民による論考。
  34. ^ (森 2010)P64-67
  35. ^ (瀧音 2018)P154-157





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「雄略天皇」の関連用語



3
大蔵 デジタル大辞泉
52% |||||

4
清寧天皇 デジタル大辞泉
52% |||||

5
養老 デジタル大辞泉
52% |||||



8
豊受大神宮 デジタル大辞泉
36% |||||



雄略天皇のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



雄略天皇のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
歴史浪漫歴史浪漫
Copyright(C)2024.1.1 ~@Hinet Suzuki Minoru  All Rights Reserved Since-1998.11.21
宮内庁宮内庁
Copyright © 2024 Imperial Household Agency. All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの雄略天皇 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS