島泉平塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/22 23:12 UTC 版)
島泉平塚古墳(しまいずみひらつかこふん)または高鷲平塚古墳(たかわしひらつかこふん)は、丸山古墳の東南東約100メートルの位置にある古墳(位置)。形状は方墳。宮内庁により丸山古墳と合わせて雄略天皇の陵に治定されている。 元治元年(1864年)までは丸山古墳のみが雄略天皇陵とされ、平塚古墳の古墳域は小高い田畑であったという。同年に平塚古墳は雄略天皇前陵として陵域に取り込まれ、後年の修陵で両古墳は合わせて前方後円形に整形された。現在では一辺約50メートル・高さ8メートルの方墳とされ、墳丘は2段または3段築成とされる。主体部の埋葬施設は明らかでない。 これまでに古墳であることを示す遺構・出土品は確認されておらず、2010年度(平成22年度)のトレンチ調査においても検出には至っていないため、古墳とすること自体に疑義を指摘する説もある。
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