遺構・出土品
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/15 10:47 UTC 版)
墓域は南北14メートル、東西8メートル、面積112平方メートルで、ここに9基の墓壙がある。発掘調査された6基の埋葬施設はいずれも木棺で、1・2・3・4号墓は床面の痕跡から割竹形木棺(刳抜式木棺)とみられ、6・7号墓については痕跡が明確でないが、割竹形木棺の可能性が高い。検出のみで未発掘の3基のうち、5号墓には組合式木棺(木材を井桁に組んだもの)の痕跡が明瞭に残る。他の2基(8・9号墓)の棺については未詳である。 発掘済みの6基の出土品は以下のとおりである。 1号墓 - 細形銅剣1、中細形銅剣3、細形銅戈1、ヒスイ製垂飾2、碧玉製管玉19 2号墓 - 細形銅剣1、細形銅矛2、細形銅戈1、碧玉製管玉8 3号墓 - 細形銅剣1 4号墓 - 細形銅剣1、細形銅矛1、細形銅戈1、ヒスイ製勾玉2、碧玉製管玉133 6号墓 - 中細形銅剣1、ヒスイ製勾玉1、ガラス小玉1 7号墓 - 細形銅剣1、ヒスイ製勾玉1、碧玉製管玉48 以上の青銅器、石製装身具、ガラス玉は2014年に重要文化財に指定されている。以上のように、発掘済みの6基すべてから武器型青銅器が出土している。青銅器5口が出土した1号墓がもっとも厚葬で、中心的人物の墓とみられる。未発掘の5・8・9号墓についても金属探知機に反応があり、同様に武器型青銅器が副葬されている可能性が高い。 墓域以外の遺構としては以下のものがある。 調査区の北東には弥生前期後半の環濠跡があり、復元径は60メートルになる。住居跡は環濠内ではなく、調査区の南、墓域の東にあり、円形住居跡6軒が検出されている。検出のみで詳細は不明である。さらに調査区全面にわたって土壙・貯蔵穴170基が確認されている。その大部分は弥生中期のものである。
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