横見廃寺跡とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 文化 > 国指定文化財等データベース > 横見廃寺跡の意味・解説 

横見廃寺跡

名称: 横見廃寺跡
ふりがな よこみはいじあと
種別 史跡
種別2:
都道府県 広島県
市区町村 三原市本郷町
管理団体
指定年月日 1978.05.22(昭和53.05.22)
指定基準 史3
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: S52-12-040横見廃寺跡.txt: 三原市河口とする沼田川遡ること10キロほどで、本郷町となる。この本郷町辺は小盆地形成しており、安芸国備後国の境いに近く古く安芸国沼田郷に含まれていた。
 3次にわたる調査結果講堂跡・塔跡かと考えられる遺構築地跡などが検出されている。
 講堂跡は、平瓦地面たてならべ特異な基壇化粧をもち、その規模南北推定28.8メートル東西19.2メートルを測り、建物平面規模桁行7間、梁間4間と考えられ、25.5メートル×15.1メートル建物であることが明確となり、また、西向きという特異な建物であることも判明した。この基壇南側では回廊発見され、9メートル南へのび西折することが確かめられている。講堂跡の西前面は未調査であるが、西北方では、塔または北金堂かと考えられる遺構発見されている。この建物は、瓦積化粧基壇をもち、階段思われる東西1.8メートル南北1.1メートル張り出しがある。この階段の心をとって復原するならば、南辺はほぼ12.3メートル一辺とすることが明らかである。南北長さ不明で、塔ないしは金堂とみることが可能である。
 本寺寺域は、北辺を示す築地検出されており、伽藍中軸線から北に38メートル強の位置東西走っている。現地形からみれば、寺域東西100メートル南北80メートル前後かと推定される遺物には金銅忍冬文金具をはじめ、山田寺軒丸瓦、あるいは大和若草伽藍跡などで用いられ忍冬文軒丸瓦本寺跡の屋瓦の中核をなし、白鳳時代草創をみた寺院跡であることを物語っている。
 安芸国沼田郷内設立され白鳳時代寺院わけてもそのうちでも比較早い段階寺院跡として重要であり、伽藍が西に向かうといった配置を示すなど、注目すべき特色そなえている。
史跡名勝記念物のほかの用語一覧
史跡:  横尾貝塚  横瀬古墳  横田下古墳  横見廃寺跡  横須賀城跡  樫原廃寺跡  樺山遺跡

横見廃寺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 07:24 UTC 版)

横見廃寺跡 説明板付近
横見廃寺跡
横見廃寺跡の位置

横見廃寺跡(よこみはいじあと)は、広島県三原市本郷町下北方(しもきたがた)にある古代寺院跡。国の史跡に指定されている。

概要

広島県東部、沼田川支流の梨和川が沼田川に合流する地域の山麓に位置し、南側には旧山陽道が通る。「横見」の寺名は、「ヨコミ寺」があったという伝承への当て字とされる[1]1971-1973年度(昭和46-48年度)に広島県教育委員会による発掘調査が実施されている。

伽藍は西向きの特異なもので、全容は明らかでないが講堂・塔(または北金堂)が検出されている[1]。発掘調査の結果から白鳳期創建の広島県内最古級の寺院とされ、奈良時代後半頃には廃絶したと見られる[1]。周辺には梅木平古墳御年代古墳が所在し、横見廃寺跡と併せて畿内ヤマト王権と当地の豪族との交流が示唆されており[1][2]、一説には寺を営んだ豪族は沼田佐伯部を管掌する佐伯直に比定される[1]

寺域跡は1978年(昭和53年)に国の史跡に指定されている[3]

遺構

寺域は東西約100メートル・南北80メートル前後で、築地塀をもって区画する[4][2]。西向きの伽藍配置で、主要伽藍として寺域東寄りに講堂、西寄りに塔(または北金堂)の遺構が認められる。遺構の詳細は次の通り。

寺域西寄りに位置する。講堂の北西に位置し、北金堂とする説もある[3][2]。遺構の詳細は明らかでない。
講堂
経典の講義・教説などを行う建物。寺域東寄りに位置する。基壇は東西19.2メートル・南北28.2メートルを測り、基壇化粧として基壇端に平瓦を立て並べる特異な様式をとる[4]。基壇上の建物は桁行7間・梁行4間と推定され、25.5メートル×15.1メートルを測る[3][2]。南辺には回廊が取り付き、南に延びたあと西折する[3]

寺域からの出土品としては、瓦のほか、須恵器土師器、金銅製飾金具片、塔相輪破片などがある[4]。軒丸瓦には単弁蓮華文(山田寺式の火炎文、檜隈寺跡出土例と類似)・忍冬唐草文(中宮寺出土例と類似)があり、畿内からの影響が認められる[4]

なお、寺跡の下層からは弥生時代終末期(3世紀前半頃)の多量の土器類が検出されている[5]

文化財

国の史跡

  • 横見廃寺跡 - 1978年(昭和53年)5月22日指定[3]

関連施設

脚注

  1. ^ a b c d e 横見廃寺跡(平凡社) 1982.
  2. ^ a b c d 史跡説明板。
  3. ^ a b c d e 横見廃寺跡 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  4. ^ a b c d 三原市の文化財 2016.
  5. ^ 横見廃寺跡(広島県教育委員会「ホットライン教育ひろしま」)。

参考文献

(記事執筆に使用した文献)

  • 史跡説明板(三原市教育委員会設置)
  • 「横見廃寺跡」『日本歴史地名大系 35 広島県の地名』平凡社、1982年。ISBN 4582490352 
  • 横見廃寺跡」『国指定史跡ガイド』講談社  - リンクは朝日新聞社「コトバンク」。
  • 「横見廃寺跡」『三原市の文化財』三原市教育委員会、2016年。 

関連文献

(記事執筆に使用していない関連文献)

  • 『安芸横見廃寺の調査1 -昭和46年度発堀調査報告-』広島県教育委員会、1972年。 
  • 『安芸横見廃寺の調査2 -昭和47年度発掘調査報告-』広島県教育委員会、1973年。 
  • 『安芸横見廃寺の調査3 -昭和48年度発掘調査報告-』広島県教育委員会、1974年。 

関連項目

外部リンク

座標: 北緯34度24分26.6秒 東経132度58分08.6秒 / 北緯34.407389度 東経132.969056度 / 34.407389; 132.969056 (横見廃寺跡)



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「横見廃寺跡」の関連用語

横見廃寺跡のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



横見廃寺跡のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
文化庁文化庁
Copyright (c) 1997-2025 The Agency for Cultural Affairs, All Rights Reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの横見廃寺跡 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS