塔跡とは? わかりやすく解説

塔跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/06 23:36 UTC 版)

観世音寺」の記事における「塔跡」の解説

鐘楼前に塔の心礎残り直径90センチメートル柱穴がある。発掘調査結果、この心礎当初位置から動いていないことが確認されている。

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塔跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/29 04:45 UTC 版)

幡多廃寺塔跡」の記事における「塔跡」の解説

水田中に岡山県最大の塔心礎一つ露出している。塔心礎中心部には六角形の浅いくぼみがありここに立てられた。また、深い穴には仏舎利収められていた。この礎石表面には被熱痕が見られ火災によって塔が焼亡したと推測されている。

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塔跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/11/14 01:17 UTC 版)

巨勢寺塔跡」の記事における「塔跡」の解説

吉野口駅北東方向JR和歌山線近鉄吉野線挟まれた畑にある周辺椿などの木々囲まれている場所にある。 塔跡には心礎心柱礎石)が一つ露出している。心礎は、約1.3メートル大きさで、直径88センチメートル深さ12センチメートル円形孔を穿ち、さらにその中央部には直径13センチメートル深さ6センチメートル舎利納孔が穿ってある。舎利納孔の周りには三重の溝が切ってあり、これらの溝を結ぶ排水溝西方向掘られている。1927年昭和2年)に国の史跡指定された。どのような規模の塔だったかは不明だが、正福寺保管されている巨勢寺伽藍図「和州葛上郡古瀬玉椿山図」には五重塔描かれている。現在は近く大日堂呼ばれる小さな堂がある。

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