幡多廃寺とは? わかりやすく解説

幡多廃寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2013/07/29 04:45 UTC 版)

幡多廃寺塔跡」の記事における「幡多廃寺」の解説

この寺院古代吉備豪族であった上道氏の氏寺一つ推測される。この遺跡周囲には備前国府跡や賞田廃寺跡もあり、この地域一帯古墳時代から奈良時代にかけての古代吉備中心地一つであったようだ。 寺院歴史出土した瓦より7世紀後半飛鳥時代後期創建され、奈良時代最盛期迎え平安時代後期11世紀廃寺となったことが確認された。 昭和47年1972年)から昭和48年1973年)にかけて発掘調査が行われ、金堂・塔の基壇回廊築地南大門中門北門などが確認された。寺院規模は1町四方(約110平方メートル)よりも大きいことが判明しているが、伽藍正確な配置未確定である。塔跡周辺からは凝灰岩出土しており、賞田廃寺同様に凝灰岩正積基壇であったことが推定される。これは畿内中心部の有力寺院見られる基壇地方寺院では極めて珍しく中央政権との繋がり強さ物語っている。また他にも多数の瓦のほか、奈良三彩などの陶磁器類、円面硯土器などが出土している。 塔跡昭和19年1944年)に国の史跡指定された。

※この「幡多廃寺」の解説は、「幡多廃寺塔跡」の解説の一部です。
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