飛鳥時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 23:34 UTC 版)
飛鳥時代(あすかじだい)は、日本の歴史の時代区分の一つ。広義には、難波宮や飛鳥に宮都が置かれていた崇峻天皇5年(592年(ただし旧暦12月8日なので、西暦に換算すると593年))から和銅3年(710年)にかけての118年間を指す。狭義には、聖徳太子が摂政になった推古天皇元年(593年)から藤原京への遷都が完了した持統天皇8年(694年)にかけての101年間、または推古天皇元年(593年)から和銅3年(710年)にかけての117年間を指す[1]。
- ^ 三訂版, デジタル大辞泉,精選版 日本国語大辞典,日本大百科全書(ニッポニカ),改訂新版 世界大百科事典,百科事典マイペディア,ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典,山川 日本史小辞典 改訂新版,旺文社日本史事典. “飛鳥時代(アスカジダイ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年5月9日閲覧。
- ^ Inc, NetAdvance Inc NetAdvance. “飛鳥時代|日本大百科全書・世界大百科事典・国史大辞典|ジャパンナレッジ”. JapanKnowledge. 2024年5月9日閲覧。
- ^ 1999年(平成11年)11月に、大阪市中央区の前期難波宮跡から「秦人国評」の木簡が出土していることから、この頃評制が施行され始めたことは間違いない。
飛鳥時代(難波大道と交通網)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 15:05 UTC 版)
「堺市」の記事における「飛鳥時代(難波大道と交通網)」の解説
飛鳥時代になると、難波宮、難波京や難波津から聖徳太子ゆかりの仏教寺院である四天王寺を経て上町台地を南北に貫く難波大道と、飛鳥京と方違神社を東西に結ぶ丹比道(竹内街道の前身)、大津道(長尾街道の前身)が整備される。奈良時代から室町時代にかけて、これらの街道沿いの美原区大保(丹南)や北区金岡・東区日置荘周辺には河内鋳物師と呼ばれる人たちが多く住んでおり、東大寺再興や鎌倉大仏の鋳造などで活躍した。また、行基が大野寺を建てた。
※この「飛鳥時代(難波大道と交通網)」の解説は、「堺市」の解説の一部です。
「飛鳥時代(難波大道と交通網)」を含む「堺市」の記事については、「堺市」の概要を参照ください。
飛鳥時代
「飛鳥時代」の例文・使い方・用例・文例
飛鳥時代と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 飛鳥時代のページへのリンク