飛鳥時代から奈良時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/05 04:38 UTC 版)
しかし、大伴氏の力はまだ失われておらず、大伴磐・大伴咋・大伴狭手彦は大将軍や大夫(議政官)に任ぜられ、大化の改新の後の大化5年(649年)には大伴長徳が右大臣になっている。また、弘文天皇元年(672年)に発生した壬申の乱の時は長徳の弟にあたる大伴馬来田・吹負兄弟が兵を率いて功績を立てている。以後も奈良時代までの朝廷において、大納言まで昇った大伴御行・大伴安麻呂・大伴旅人以下、多数の公卿を輩出した。平城宮の南の大門は「大伴門」の名がつけられ、後に朱雀門とされた。 一方で、大伴安麻呂・大伴旅人・大伴家持・大伴坂上郎女などの万葉歌人も多く世に出している。ほかに、遣唐副使を務めた大伴古麻呂は独断で鑑真を唐から密航させて日本へ導いている。
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