飛鳥時代・奈良時代の対外関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/26 07:46 UTC 版)
「日本の女性史」の記事における「飛鳥時代・奈良時代の対外関係」の解説
朝鮮半島では、唐・新羅の同盟(660年)によって新羅が軍事力で優位に立ち、半島を統一した。その影響で、滅ぼされた百済や高句麗から多数の難民が日本列島(倭国)へ避難し、新羅からも仏教僧らが来た。日本は難民を受け入れ、高句麗からの難民には高麗郡を設置し、新羅からの難民には新羅郡(のちの新座郡)を設置した。こうして移住した人々にも女性がいた記録がある。この他、駿河、甲斐、相模、上総、下総、下野、上野、下野などにも移住は行われた。光仁天皇の配偶者で桓武天皇の生母である高野新笠も、この時期に百済から移住した家系にあたる。のちの明仁天皇(当時)は、2001年にこの点に触れて「ゆかり発言」を残した。
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