大伴氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/29 21:00 UTC 版)
大伴氏(おおともうじ)、のちに伴氏(ともうじ、ばんし)は、日本の氏族のひとつ。姓はもと連、のち八色の姓の制定により宿禰、平安時代中期以降は朝臣。祖は道臣命。
- ^ 天慶5年(942年) 7月1日、伴 宿禰 保平が朝臣に改正。
- ^ 太田亮 1934, p. 1229.
- ^ 『古事記伝』
- ^ 佐伯[1994: 111]
- ^ a b 佐伯[1994: 110]
- ^ 『日本書紀』欽明元年9月己卯条
- ^ 『万葉集』1-63・68
- ^ 『万葉集』1-66
- ^ 『日本書紀』神武紀
- ^ 太田亮 1934, p. 1230.
- ^ なお、瀬川尚紀は『日本書紀』には大伴氏の記録による室屋や金村の顕彰記事が採用され、特に金村については継体天皇擁立への関与を疑問視して大連就任も同天皇の即位後とする。ただし、その採用は大伴氏側からの働きかけだけではなく、壬申の乱の功労者としての大伴氏に対する朝廷の高い評価が影響しているとする(笹川尚紀「『日本書紀』の編纂と大伴氏の伝承」(初出:『日本史研究』第600号(2012年)/笹川『日本書紀成立史攷』(塙書房、2016年)ISBN 978-4-8273-1281-2))。
- ^ なお、金村の失脚理由について、実際には即位していない安閑・宣化と欽明の帝位継承争いに巻き込まれたと、黒岩重吾は主張していた。
- ^ 大田亮 & 1934-1936, p. 4039.
- ^ 田島公 「「氏爵」の成立-儀式・奉仕・叙位-」『史林』71-1、1988年 61p
- ^ 三上景文『地下家伝. 第1-7』(1937年、日本古典全集刊行会)313-326p
- ^ a b 三上景文『地下家伝. 第21-26』(1938年、日本古典全集刊行会)1293 - 1294p
- ^ 『地下家伝』
- ^ 「鶴岡社職系図」・『続群書類従』巻第182所収
- ^ 『百家系図』巻59,大伴宿禰
- ^ 太田亮 著「国立国会図書館デジタルコレクション 肝付 キモツキ」、上田萬年、三上参次監修 編『姓氏家系大辞典』 第2巻、姓氏家系大辞典刊行会、1934-1936、1229-1237頁。 NCID BN05000207。OCLC 673726070。全国書誌番号:47004572 。
- ^ 「肝付家譜」『薩隅日地理纂考』肝属郡内郡高山郷条所収
- ^ a b 「伴氏系図」・『続群書類従』巻第182所収
- ^ 鈴木真年の著作による。宝賀[1986: 822]ではこの説に従っている。
- ^ 鈴木真年『百家系図』巻第59,大伴宿禰
- ^ 太田[1963: 3362]
- ^ a b 鈴木真年『百家系図稿』巻6,石井
- ^ 『伊豆志稿』
- ^ 「大伴氏系図」『続群書類従』巻第182所収
- ^ 『甲斐国一之宮浅間神社誌』浅間神社 1979年(昭和54年)、pp278 - 300。)資料篇所収
- ^ 『田中卓著作集6』国書刊行会 1986年(昭和61年)、p.160
- ^ 『古代氏族の系譜』吉川弘文館 1987年(昭和62年),p.96。同著で溝口は「古屋家家譜」を詳細に分析している。
大伴氏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/06/06 14:33 UTC 版)
大伴安麻呂……公卿。 大伴稲公……公卿。 大伴旅人……歌人・公卿。 大伴家持……歌人・公卿。旅人の子。 大伴古麻呂……官人。 大伴道足……官人。 大伴伯麻呂……官人。 大伴祖父麻呂……官人。 大伴古慈悲……公卿。 大伴弟麻呂……武人。 大伴兄麻呂……官人。 大伴駿河麻呂……武人・公卿。 大伴継人……官人。古麻呂の子。 大伴坂上郎女……歌人。 大伴坂上大嬢……歌人。家持室。 大伴牛養……官人。遣渤海大使。 大伴益立……官人。 大伴三依……官人。 大伴三中……官人。 大伴真綱……官人。 大伴犬養……官人。 大伴真麻呂……官人。 大伴山守……官人。
※この「大伴氏」の解説は、「奈良時代の人物一覧」の解説の一部です。
「大伴氏」を含む「奈良時代の人物一覧」の記事については、「奈良時代の人物一覧」の概要を参照ください。
固有名詞の分類
- 大伴氏のページへのリンク