尾崎積興とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 尾崎積興の意味・解説 

尾崎積興

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/27 18:20 UTC 版)

 
尾崎積興
時代 江戸時代後期
生誕 延享4年(1747年)11月23日
死没 文政10年(1827年)5月16日
改名 継忠→積興
戒名 天涼院從三位淸月樹観居士
墓所 龍源寺(京都市右京区鳴滝音戸山町11-59)
官位 従三位・逢殿頭
氏族 大伴氏尾崎氏
父母 尾崎正殖
尾崎春房
テンプレートを表示

尾崎 積興(おざき つむおき)は、江戸時代後期の公家武士。官位は従三位・逢殿頭。桂宮の諸大夫を務め、大伴氏出身の人物として伴保平以来875年ぶりに公卿となった。

概要

宝暦11年(1761年)3月25日に侍として従六位下・縫殿大允に叙任されたが、翌年5月16日に位官を返上し改めて諸大夫として正六位下・左衛門少尉に叙任された。また同年11月5日には大和守に任じられた。明和5年(1768年)7月25日には名を継忠から積興へと改めた。翌年には弘仁4年(823年)に淳和天皇の諱(大伴親王)を避けて伴氏へと改めていた氏の名を大伴氏へと戻した。その後も玄蕃頭や縫殿頭に任じられ、位階も昇進し、文政8年(1825年)には大伴氏の人間として875年ぶり(天暦4年(950年)10月15日に従三位・伴保平が致仕して以来)に公卿へと昇った。同10年(1827年)5月16日に死去し、龍源寺に葬られた[1]

脚注

注釈

出典

  1. ^ 三上景文『地下家伝 第21-26(日本古典全集 ; 第6期)[1]』(日本古典全集刊行会、1937年)

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  尾崎積興のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「尾崎積興」の関連用語

尾崎積興のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



尾崎積興のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの尾崎積興 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS