せきの‐ただし【関野貞】
関野貞
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関野 貞(せきの ただし[1]、1868年1月9日(慶応3年12月15日)- 1935年(昭和10年)7月29日)は、日本の建築史学者、建築家・美術史・考古学者。東京帝国大学名誉教授[2][3][4][5]。
- ^ “関野貞 :: 東文研アーカイブデータベース”. 東京文化財研究所. 2022年12月29日閲覧。
- ^ a b 「関野貞」『日本人名大事典』 第3巻、平凡社、1937年、530頁。
- ^ a b 「関野貞」『20世紀日本人名事典 あ~せ』、日外アソシエーツ、2004年、1398-1399頁。
- ^ 「関野貞」『日本美術年鑑』、国書刊行会、1936年、128-129頁。
- ^ a b 「関野貞」『東アジア考古学辞典』、東京堂出版、2007年、320頁。
- ^ 『東京帝国大学一覧 従明治28年至明治29年』東京帝国大学、1896年、461頁。
- ^ 関野貞「平城宮及大内裏考」『東京帝国大学紀要 ; 工科第3冊』、東京帝国大学、1907年、2017年10月13日閲覧。
- ^ “国指定 史跡・名勝・天然記念物一覧”. 奈良市. 2017年10月13日閲覧。
- ^ 関野貞 「所謂神籠石は山城址なり」『考古学雑誌』 第4巻 第2号、日本考古学協会、1913年。
- ^ 関野貞 「天智天皇の屋島城」『史学雑誌』 第28編 第6号、史学会、1917年。
- ^ 『官報』第7450号、明治41年4月30日、p.734
- ^ a b 「関野貞」『日本近現代人名辞典』、吉川弘文館、2001年、572頁。
- ^ “少林門の研究”. 日本少林拳同盟会. 2018年3月4日閲覧。
- ^ 中国から最古最大の石仏を収蔵『東京日日新聞』昭和4年7月31日(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p27 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
- ^ 「法隆寺再建説に、新たな?/奈文研 年輪年代法で測定」『朝日新聞』、2004年7月16日。
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