奈良時代の諸宮の朝堂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/26 19:45 UTC 版)
平城宮は、明治時代、建築史家関野貞による現地踏査がなされ、大極殿跡と推定される土壇や水田跡中に朝堂12殿舎にあたる土壇を発見したことから実態の復元が始まった。1959年からは奈良国立文化財研究所による継続的な発掘調査がおこなわれている。こんにちでは2時期にわたって営まれていたことが判明しており、以下、聖武天皇が740年(天平12年)に恭仁京へ行幸するまでを平城宮(前半)、745年(天平17年)行幸先の紫香楽宮より平城京に戻ってきてからを平城宮(後半)として説明する。
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