奈良時代に律令に定める本来業務を行っていた陰陽師とは? わかりやすく解説

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奈良時代に律令に定める本来業務を行っていた陰陽師

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/16 18:42 UTC 版)

陰陽師の一覧」の記事における「奈良時代に律令に定める本来業務を行っていた陰陽師」の解説

津守通(つもりのとおる) ? - ? 奈良時代初期渡来人系の陰陽師。「津守連道」とも。持統天皇草壁皇子重用され敵対する大津皇子密会公の場占い暴露したその後大津皇子詠んだ和歌『万葉集』巻2・第108首)、 < 大津皇子、石川女郎(いしかはのいらつめ)に竊(しぬ)ひ婚(あ)ひたまへる時、津守連通(つもりのむらじとほる)が其の事を占(うら)ひ露はせれば、皇子のよみませる御歌一首 > 『大船(おほぶね)の津守が占(うら)に告(の)らむとは兼ねて知り我が二人寝し』 (大意):< 大津皇子と石川郎女の密会の事実が、陰陽師の津守連通の占筮で露見した際に、大津皇子が詠んだ一首 > 『大船密会という目立つ大胆な行動例え)に乗れば港湾管理者監視下(「津を守る人の監視」と陰陽師である「津守通」の掛け言葉)のウラ(港が接する「浦」と「占い」の掛け言葉)で見つかるだろうと重々承知の上で私たち二人寝たんだよ』 がよく知られている。 従五位下美作714年和銅7年10月従五位上 724年神亀元年10月『続日本紀』第九高金蔵(信成) こうきんぞう(しんぜい? - ? 高句麗より帰来法名は「信成」。 陰陽師 701年大宝元年)-723年養老7年)。従五位下(兼・陰陽頭?)。 觮兄麻呂 ? - ? 「觮」は「角+彔」、別称は「角兄麻呂」・「羽林麻呂」。 陰陽博士 701年大宝元年) - 727年神亀4年)?。正六位上 721年養老5年)。 王中文王仲文おうちゅうぶん ? - ? 高句麗出身法名「東」。 天文博士 701年大宝元年) - 720年代神亀年間)。正六位上 721年養老5年)。 金財(金宅良) 新羅出身、和名「隆観」、諡「国看連宅良」。 大宝2年 - 神亀元年文広麻呂 ふみのいみきひろまろ ? - ?出身陰陽師 700年代慶雲年間)。 池辺大島 ? - ?出身?。 漏刻博士 700年代慶雲年間)。 山口田主 やまぐちのいみきたぬし ? - ?出身暦道長けていたため、算術大家としても有名で、正六位上 721年養老5年)、天平2年に、算術啓蒙の師として公式に指名されている。 正六位上 721年養老5年)。陰陽暦博士 709年和銅2年) - 730年天平2年)。 余秦勝 よのやすかつ ? - ? 百済亡命王族の子孫。 正六位上 721年養老5年)。 志我閇阿彌陀 しがへのむらじあみだ ? - ?出身別称「志我閇連阿弥太」。 従五位下 721年養老5年)- 723年養老7年)。 楢諸君出身陰陽大属 728年神亀5年)。 余真人 よのまひと ? - ? 百済亡命王族の子孫。 養老-神亀年間従五位下 717年谷那庚受難波連庚受) こくなこうじゅ(なにわのむらじこうじゅ) ? - ? 高句麗出身別称は「谷那康受」。難波連の姓(かばね)を賜る難波吉成同一人物とする説がある。 720年代神亀年間)。 礒氏法麻呂 『万葉集』太宰府梅の花詠んだ歌が見られる太宰陰陽師 730年天平2年)。 難波吉成(なにわのよしなり) ? - ? 高句麗出身730年天平2年)-731年天平3年)。 高麦太(こうのむぎた)? - ? 高句麗出身陰陽師 737年天平9年)-740年天平12年)。兼 陰陽頭738年天平10年)。 余益人百済朝臣益人) よのますひと (くだらのあそみますひと) ? - ? 百済亡命王族の子孫。「百済朝臣」の姓(かばね)を賜る太宰陰陽師 758年天平宝字2年)-764年天平宝字8年)。 山上船主やまのうえふなぬし? - ? 延暦年間陰陽頭勤めたという記録のほか、782年延暦元年)には、氷上川継謀反氷上川継の乱)に連座して、隠岐介に左遷実態流罪)されたとの記録もある(『続日本紀』)。 陰陽頭天文博士 767年神護景雲元年)-805年延暦24年)。 百済秋麻呂 くだらのあきまろ ? - ? 百済亡命王族の子孫。 陰陽大属 767年神護景雲元年)。陰陽允 769年景雲3年)。 国見今虫 くにみのいまむし ? - ? 新羅出身天文博士 767年神護景雲元年)。 大津大浦 おおつのおおうら ? - ? 大津首の孫とされている。大津皇子おおつのみこ)の壬生乳部であったとの説もある。 陰陽頭 771年宝亀2年)-774年宝亀5年紀本 きのあそみのかみ ? - ? 皇族出身陰陽頭? 774年宝亀5年)-782年延暦元年)。 栄井蓑麻呂 高句麗出身別称日置麻呂」。 陰陽頭 747年天平18年)-783年延暦2年)。 高橋御坂 たかはしのみさか ? - ? 皇族出身陰陽頭 785年延暦4年)。 船田口 百済出身陰陽助 781年天応元年)-784年延暦3年)。 藤原刷雄 ふじわらのよしお ? - ? 752年天平勝宝4年藤原清河遣唐使留学生として随行陰陽家というよりも禅定としての性格が強い。帰国後に従五位下任じられ、「藤原恵美朝臣の姓を賜った764年天平宝字8年)の藤原仲麻呂の乱恵美押勝の乱)に連座して隠岐国流されたが、772年宝亀3年)に赦免され再度従五位下藤原朝臣」を賜って入京許され778年宝亀9年)に従五位上叙せられた。 陰陽頭 791年延暦10年)。 路三野石守 おみぬのいそもり ? - ? 皇族出身とされているが叙せられた官位おしなべて低目であるため反論も多い。別称三野真人石守」(みぬのまひといそもり)。 陰陽助 786年延暦5年)。 藤原菅継 陰陽頭 784年延暦3年)-791年延暦10年

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