奈良時代から室町時代まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 20:16 UTC 版)
「コントーション」の記事における「奈良時代から室町時代まで」の解説
奈良時代・平安時代奈良時代初期に中国(唐王朝)から様々な余興的芸能が「散楽」として伝わったが、それらの中にコントーションも「拗腰」として含まれていた。演者たちは国の雅楽寮の散楽戸に属していたが、奈良時代末期に散楽戸が廃止されると、各地に分散するか寺社などの支配下に入り、祭礼などの折にその芸を演じるようになった。平安時代中期には散楽は猿楽となまって呼ばれるようになり、さらに曲芸的な芸は独立して田楽に付属するようになった。鎌倉時代に始まった寺社の造営や修理のための寄付金を集めるための勧進興行においては、もっぱら田楽が演じられた。 室町時代室町時代になると綱渡りを中心として「無骨(骨無し)」やさまざまな曲芸を組み合わせた蜘蛛舞(または蜘舞、読みはいずれも「くもまい」)が勧進興行などで演じられるようになった。興福寺所蔵の『大般若経』第73巻の奥書には、室町時代末期(戦国時代)の天文18年(1549年)に奈良において演じられた蜘蛛舞において、「無骨」の芸が含まれていたことが記されている。
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