アクロバット





アクロバット(acrobatics)とは、常人には行いがたい身軽な身体運動や熟練の身体運動のこと。またそれを行う人物。
舞台芸術およびスポーツ競技として行われるアクロバットということばは、ギリシャ語の akros(高い)と bat(歩行)からきている。日本語では軽業や曲芸とも言い、これを行う人物を軽業師、曲芸師と言う。
バランス、機敏さ、コーディネートの高度な技を要する全身運動(特に短時間に爆発的な動作を伴うもの)を用いた舞台芸術やスポーツはいずれもアクロバットとみなすことができ、ダンス、および飛込などの各種スポーツ、時には宗教行為にも含まれる。また、ここから転じて秒刻みで多数の用件をこなすスケジュールといったものをアクロバット的(またはアクロバティックな)と表現することがある。
歴史
西洋におけるアクロバットの歴史

アクロバットの伝統は多くの文化に存在する。西洋では、紀元前2000年頃のミノア文明の遺跡では、雄牛の背に乗って行われているアクロバットの描写が見られ、何かの儀式であった可能性が指摘されている[1]。
中世ヨーロッパの宮廷では歌、ジャグリングその他を伴ったアクロバットの実演がしばしば行われていた。
初め、この言葉は綱渡りに対して用いられていたが、19世紀には、体操やサーカスなどの芸に対しても用いられるようになった。19世紀後半には、宙返りを含むアクロバティックな体操がヨーロッパで競技になった。
東洋におけるアクロバットの歴史
中国では、アクロバット(百劇)は2500年以上前の前漢以来の文化の一部である。当時、アクロバットは村の収穫祭の一部として行われた[2] 。
唐時代には、ヨーロッパ中世の宮廷における7世紀から10世紀の発展とよく似て、宮廷を中心に散楽というアクロバットが発展した[3]。
日本においては、大道芸が盛んだった江戸時代に多くの軽業師が活躍した。大阪出身の早竹虎吉は特に人気があり、錦絵に描かれ、1860年代にいち早く海外公演も行なっている。それに続いて万国博覧会で日本の風物が紹介されのをきっかけに、日本の軽業公演の要請が増え、幕末から明治時代にかけて、数多くの軽業師が渡欧し、好評を得た。
日本の軽業は横浜在留の外国人を驚かし、その中の一人であるアメリカ人商人のバンクスは、慶応2(1866)年、足芸の浜碇定吉一座、手品の隅田川浪五郎一座らをアメリカ人のサーカス曲芸師リズリー(1864年に来日し、西洋式曲芸を日本で初めて披露した)の帰国に合わせて渡米させ、リズリーをマネージャーに「帝国日本一座(Imperial Japanese Troupe)」として巡業させた[4][5][6]。一行は各地で絶賛され、ジョンソン大統領にまで謁見し、1867年のパリ万博にも出演、ロンドンをはじめヨーロッパ各地を回り、ジャパニーズ・アクロバット・ブームを引き起こした[5][7]。定吉は明治17(1884)年に帰国した[4]。
映画への影響
サイレント映画におけるスラップスティック・コメディにおいて、アクロバットは笑いを喚起する身体芸として重要な構成要素だった。アクロバット演技を得意とする俳優としてバスター・キートンは特に有名[8]。また後年のアクション・スターのジャッキー・チェンの演技もアクロバットに近い、と評される[9](外部リンク"Buster Keaton | Public Domain Movies"も参照)。
競技アクロバット
アクロバットという言葉をスポーツとして最初に用いたのは1930年代のソ連である[1]。1974年には最初の世界選手権が開催された。かつては「スポーツアクロバット」や「スポーツアクロバティクス」と呼ばれていたが、現在の公式名称は「アクロバティック体操」(Acrobatic Gymnastics)であり、その他「アクロ体操」(Acro-gymnastics)とも略称される。
競技アクロバットは5つのカテゴリに分けて行われる。
- 男子ペア
- 女子ペア
- 混合ペア(ミックス)
- 女子団体(トリオ)
- 男子団体(メンズフォー)
いずれも音楽にあわせて振り付けられる。競技の構成にはダンス、タンブリング、連携技術、バランス技、動き技などが含まれる。動き技には空中での運動が含まれ、バランス技にはポーズや静止が含まれる。
スポーツアクロ体操は、体操競技の床演技で使用するフロアと同じフロアで演技を行う。それぞれチームで演技を行い、組の技と床運動とダンスなどの要素で競技が行われる。各種目は3競技あり、静止技を中心としたバランス演技、宙返り系を中心としたテンポ演技、静止技、宙返り技を複合したコンビネーション演技(ミックス演技)に分かれている。
一つの演技で使用する音は2分30秒で声の入ってない曲とされる。それぞれの演技で特別要求があり、組の技、個人技に分かれ、特別要求不足や演技構成失敗、静止時間の不足、キャッチミスなどで減点されていく。
タンブリング(マット上の回転運動)もかつては含まれていたが、1999年の世界選手権にて廃止となった。ただし、タンブリング競技を継続している競技アクロバット団体も多い[10]。
ギャラリー
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幕末の日本のアクロバット
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日本のアクロバット一座の海外公演ポスター。19世紀末
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綱渡り師・お寅の公演を伝えるフランスのポスター。
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早竹虎吉一座
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アメリカ巡業中の日本人ジャグラー。1908年
脚注
- ^ a b http://www.hickoksports.com/history/acrobatics.shtml[リンク切れ]
- ^ http://www.redpanda2000.com/history.htm
- ^ http://www.beijingservice.com/beijinghighlights/acrobatichistory.htm
- ^ a b 浜碇定吉 はまいかりさだきちコトバンク
- ^ a b Professor Risley and the Imperial Japanese TroupeFrederik L. Schodt, Stone Bridge Press, Dec 4, 2012
- ^ "Japan's Early Experience of Contract Management in the Treaty Ports" Yuki Allyson Honjo, Routledge, Dec 19, 2013
- ^ Les Kiriki Acrobates Japonais 日本の軽業を真似たトリック・フィルム
- ^ “Buster Keaton, the "Great Stone Face" - CBS News” (英語). www.cbsnews.com (2022年3月27日). 2024年4月3日閲覧。
- ^ “喜劇辞典あ行”. www.kigeki-eikenn.com. 2022年12月16日閲覧。
- ^ http://homepage.eircom.net/~irishacro/irishsportsacro.htm
参考文献
- 『海を渡った幕末の曲芸団(高野広八の米欧漫遊記)』宮永孝、中公新書、1999年
- 『大世紀サーカス』安岡章太郎、朝日新聞社、1984年(高野広八日記をもとにした小説)
- 『蝙蝠の如く』 有島生馬、洛陽堂、1913年(曲芸団の座員として幕末期に海を渡った男の数奇な人生を描いた小説)
- 『ロンドン日本人村を作った男』小山騰、藤原書店、2015年(幕末・明治の日本の軽業曲芸の海外公演を仕掛けたオランダ人興行師の足跡)
- 『海外公演事始』倉田喜弘、東京書籍、1994年
関連項目
外部リンク
- Site Parkour
- Le Parkour en France
- Parkourday.net
- 1901年の日本のアクロバット映像 エジソン映画スタジオ制作
- 1904年の日本のアクロバット映像 The Japan Times
- 1927年の日本のアクロバット映像 スミソニアン博物館
- 浮世絵に描かれた軽業(アクロバット)
- Buster Keaton | Public Domain Movies(英語)
曲芸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/22 15:44 UTC 版)
日本の曲独楽は演芸として独楽を専門に使う点で世界に他に例がない。一般に心棒が細い鉄芯の手より独楽を使う。 以下は寄席芸として演じられた曲独楽、三増流 三世 三増 紋也の寄席演目の一例である。 手より独楽を使用する演目 末広 扇を広げた状態で地紙の中央に乗せて回す。他の流派では、地紙止めと称することがある。 刃渡り 日本刀の刃の上から切っ先で回す。三増流は、まっすぐ構えるが、他の流派は横に構える。 綱渡り 開始地点から終点までの距離3mから5mほど、釣り糸程度の細い糸の上を渡らせる。他の流派では、糸渡りと言うこともある。 小手調べ 10cm程度の独楽から始まって、30cmの大きな独楽を片手でひねって回転させる。やなぎ女楽は、独楽しらべと言っていた。 投げ独楽の演目 投げ独楽 直径15cmほどの胴体、鉄の心棒17cm程度の独楽を、長さ3m位の紐を巻き、投げて回す。投げ回した独楽を手で受け止め、演技に入る。 要止め 独楽を長さ1mの煙管の火皿に乗せ、扇を開いて要の部分に投げ移す。 行灯 吊るし行灯から垂らした紐に掛ける。独楽は行灯の仕掛けを開き、垂れ幕が出る。 衣紋流し 独楽を長さ1mの煙管の火皿に乗せ、曲独楽師の着ている羽織が小道具になる。始点は左袖、首の後から右袖、終点の煙管の先端まで一気に通らせる。袖がらみといって、最後まで回転が落ちていない時には、左の袖口で回す。やなぎ女楽は、晩年、衣紋の独楽と言って、投げずにもみ独楽で回して左袖に乗せ、衣紋流しとは違う演じ方をしていた。 江戸時代後半から明治にかけて、足芸やバランス芸、水芸と共に曲独楽として、多くの興行があった。 欧米ではディアボロがジャグリングの中で使われ、中国の空中ゴマも雑伎団の演目に含まれる。
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「曲芸」の例文・使い方・用例・文例
- アシカが曲芸をするのを見てとても楽しかった
- 曲芸師は棒で慎重にバランスを取りながらぴんと張ったロープの上を進んだ
- 曲芸
- 彼は5枚の皿で曲芸をした
- 私の娘はそのサーカスの空中曲芸師に見入っていた。
- その曲芸師の体の柔らかさは信じられないほどだった。
- 少し曲芸をすることができます。
- サーカスのアシカは曲芸を見せた。
- 曲芸ダンス.
- 空中曲芸 《空中ぶらんこ・綱渡りなど》.
- 超一流の曲芸飛行士.
- 恐れを知らないぶらんこ曲芸師.
- ステージでは数匹の犬が曲芸をしていた.
- 曲芸を覚えるのには長年の訓練が必要だ.
- いくつか危険なシーンでは曲芸嬢がその女優の代役を勤めた.
- 余興にはダンスや曲芸があった.
- 馬上の曲芸
- 自転車の曲芸
- 飛行機の曲芸
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