ビーチサッカー
歴史と沿革

ビーチサッカーは、ブラジルで生まれ、1995年頃から日本で競技として広まり始めました。1998年に行われた沖縄と福岡の交流を皮切りに全国へ広まり、2005年にFIFA(国際サッカー連盟)がワールドカップの開催を決定しました。これに合わせて、JFA(日本サッカー協会)もラモス瑠偉氏を監督に迎えて日本代表チームを編成し、見事ベスト4とフェアプレイ賞を勝ち取り、日本サッカーの歴史に刻まれることとなりました。
その後、国際交流も含め、日本国内で地域活性化の役割を担いながら、自然と人を大切にする啓発活動と共に広がり続けています。
競技方法・ルール

ビーチサッカーは、ビーチをコートに、裸足でボールを蹴る競技です。
足が取られやすい柔らかな砂地の上を裸足で走るので、体のバランスや体幹、心肺機能が自然に鍛えられます。また、ボールを裸足で扱うので浮き球への反応など、靴を履いて行うサッカーとはまた違ったボールコントロール能力の向上がはかれます。
ビーチサッカーは、ビーチに28メートル×37メートルのコートを設置し、各チーム、ゴールキーパーを含めて5名の選手で戦います。交代要員は5~7名で、交代は何度でもできます。試合時間は12分×3ピリオド(プレイングタイム)です。
その他、フリーキック・バックパス・ボールインバウンド(キックイン&スローイン)・ゴールクリアランス(ゴールキック)・5秒ルールなど、ビーチサッカー特有のルールがあるので、詳細はJAPANビーチサッカーネットワーク公式Webサイトからご確認ください。
道具、コートなどの説明
●ボール
異物が混入していない深さ40cm以上の砂地で構成され、縦(タッチライン)35~37m 横(ゴールライン)26~28mのピッチサイズに周囲2mのフリーゾーンが設けられています。
●ゴール
横幅5.5m、高さ2.2m、奥行1.5mの円形(直径20cm以内)の錆びにくいアルミ製で作られることが多くなっています。
●コートロープ
通常のサッカーでいう、ラインの役割を持ちます。幅は10cm、色は青で、角が裸足で触れても怪我をしない加工をされていなければなりません。
●フラッグ
高さ1.5m以上で弾力性のある材質で作られたものです。タッチラインから1mの位置に直接砂に埋められます。黄色のフラッグは、ペナルティライン(仮想ライン)を結ぶコーナーから9mの位置に設置されます。赤色のフラッグは、センターとコーナーに設置されます。

ビーチサッカー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/16 21:22 UTC 版)
ビーチサッカー | |
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ビーチサッカーの試合風景
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統括団体 | FIFA |
起源 | ![]() |
特徴 | |
身体接触 | 有 |
選手数 | 5人 |
カテゴリ | 屋外競技 |
ビーチサッカーは、サッカーの一種で砂浜で行うものをいう。 ビーチサッカーはもともとブラジルで始まったもので、近年欧米に普及してきたという。外国では有名なサッカー選手もしばしばビーチサッカーに転向することがあり、そのことがビーチサッカーの普及の原動力になっている。
ルール

基本的なルールは11人制のサッカーと変わらないが、コートのサイズや試合時間、プレーヤーの数などに違いがある。
コートの広さは縦37m×横28m、一般的なサッカーのコートが縦105m×68mなので面積は凡そ1/7、縦横の比率ではビーチサッカーのコートはやや正方形に近い形状である。
サッカーとはルールの差異があり、サッカーの試合が1チーム11人で行われるのに対し、ビーチサッカーは1チーム5人で行われる。さらに、サッカーが前後半それぞれ45分で行われるが、ビーチサッカーでは12分×3ピリオドで行われる。
選手の交代回数に制限はない。この他、スローインとキックインを選択できるボールインバウンド、フリーキックの際に壁を作れない、試合再開後ないしはフリーキック後、1回まで認められるバックパスと呼ばれるものなど、ビーチサッカー独自のルールもある。特に選手の交代回数に制限はないことは大きく、11人制のサッカーを体力の衰えで引退した高齢の往年のスター選手が入れ替わり立ち替わり出場することを可能にしており、ブラジルなど諸外国では、往年のスター選手がビーチサッカー普及の原動力になっている。また、往年のスター選手の受け入れ先になっている。
歴史
ブラジルを発祥とし、世界各地でレクリエーションとして長年親しまれてきたビーチサッカーは、1992年、アメリカ、ロサンゼルスにおいて統一ルールを設ける試みがなされ、その次の夏にはマイアミビーチにおいてアメリカ・ブラジル・アルゼンチン・イタリアが参加した初めてのプロによるビーチサッカーの国際大会が開催された。
1994年4月、ブラジル、リオデジャネイロのコパカバーナビーチにおいて行われた大会で初めてビーチサッカーの試合がテレビ放送され、翌年にはコパカバーナで初めてのビーチサッカーの世界選手権が行われた。第1回大会の優勝国はホスト国のブラジルであった。この競技会の成功により国際的な関心が高まりを見せ、1996年のプロビーチサッカーツアー開始につながった。
最初のプロビーチサッカーツアーは、2年かけて南アメリカ、アジア、ヨーロッパ、そしてアメリカ合衆国の各地で60試合を行うもので、これを受けて1998年にはヨーロッパで欧州プロビーチサッカーリーグ(EPBSL、ユーロBSリーグ)が創設された。ユーロBSリーグは世界最大規模のビーチサッカーのプロツアーへと成長した。
1995年以降10回にわたって開かれていたビーチサッカーの世界選手権は、2005年から国際サッカー連盟主催のFIFAビーチサッカー・ワールドカップとなった。
おもな大会
世界
地域
- ユーロビーチサッカーリーグ
日本
脚注
参考文献
- 国際サッカー連盟. “Beach Soccer: History” (英語). 2009年6月25日閲覧。
関連項目
- ビーチスポーツ
- 日本ビーチサッカー連盟
- 東京レキオスBS(東京)
- ソーマプライア(沖縄)
- ドルソーレ北九州
- 戸塚哲也(日本におけるビーチサッカーのパイオニア的存在)
- 田畑輝樹(日本人No.1プレーヤー)
- 前園真聖
- 茂怜羅オズ 現キャプテン
- ラモス瑠偉(2013年現在日本代表監督)
- 金武町(毎年町長杯大会が行われる)
- 「ビーチサッカー」で始まるページの一覧
- レーヴェYokohama(神奈川)
外部リンク
ビーチサッカー
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「エリック・カントナ」の記事における「ビーチサッカー」の解説
ファイル:Sébastien Maté - Beach-soccer 3.JPG 2010年にビーチサッカーで監督を務めたカントナ(後列右端) マンチェスター・ユナイテッドを離れて間もなく、ビーチサッカーのフランス代表のキャプテンに就任した。南アジアやブライトンで行われた大会に参加し、2005年にはリオデジャネイロで開催されたFIFAビーチサッカー・ワールドカップで優勝している。2006年に開催されたワールドカップでは代表チームの監督を務め、チームは3位に入り、2007年のワールドカップでもチームを4位に導いた。2008年には初めてフランスでワールドカップが開催されたが、準々決勝でイタリア代表に敗れた。
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