しょうがいしゃ‐スポーツ〔シヤウガイシヤ‐〕【障害者スポーツ】
読み方:しょうがいしゃすぽーつ
「パラスポーツ」に同じ。
障害者スポーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/04 05:34 UTC 版)
障害者スポーツ(しょうがいしゃスポーツ)とは、身体障害や知的障害などの障害がある人が行うスポーツのこと。既存のスポーツを障害者の要求に応じて修正したものが多い。アダプテッド・スポーツ(adapted sports、(障害者に)合わせたスポーツ)とも、パラスポーツ(para-sports、もう一つのスポーツ)ともいう。しかしながら、全部が健常者のスポーツの修正版ではなく、障害者のために考案された独自のスポーツもいくつか存在する。
- 1 障害者スポーツとは
- 2 障害者スポーツの概要
障害者スポーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 01:37 UTC 版)
1960年当時、日本では身障者は「ベッドで寝て過ごすことが一番」といわれていた時代、英国では身障者が驚異的な割合で社会復帰をしていた。「何か特別な手術などがおこなわれているのでは」と調査のため、九州大学医学部の天児民和教授により、英国のストークマンデビル病院へ送られた。しかし、手術など治療方法は日本と全く同じだった。そこでは障害者がリハビリテーションの一環としてスポーツを行い、さらには社会全体で受け入るシステムが存在したことに強い衝撃を受けた。 帰国後、すぐに障害者スポーツの普及を目的とし、第1回大分県身体障害者体育大会を開催。「障害者を見世物にするな」「あなた、それでも医者ですか」など多くの批判を受けた。地方の活動ではなく国際大会を開催し、ボトムアップではなくトップダウンでの普及の必要を痛感。1964年東京パラリンピック開催に奔走し、日本人選手団団長を務めた。大会は成功したように見えたが、日本と西欧諸国の障害者の差を見せつけられた大会だった。日本の参加者は施設や病院暮らしの「患者」、それに対して西欧諸国の「アスリート」では試合になるはずもなかった。それ以上にショックだったのは、大会期間中、西欧諸国の参加者は、自分でタクシーを呼び銀座へショッピングに出かけるなど一人の自立した人間として生き生きとした姿だった。日本人参加者は閉会式のとき中村に「働く場所をつくってほしい」と懇願した。 1975年には、障害者自身へのスポーツのプロモーションと障害者の能力を一般の方に見てもらうことを目的とし、また、誰でも気軽に「やしの木でも開催できる大会」を理念に第1回極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会(フェスピック大会)を開催した。このフェスピックは現在のアジアパラへと継承し、継続されている。 1981年の第1回大分国際車いすマラソン大会を成功に導いた。当初、別府・大分毎日マラソンへ車いす使用者への参加を求めたが、当時の陸連より「マラソンは2本の足で走るもの」と受け入れられなかったことを受け、開催したものである。中村は「不本意な開催」と晩年まで語っていた。 日本に初めて車いすバスケットボールを紹介した。
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