カルチョ・フィオレンティノ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/17 09:58 UTC 版)
カルチョ・フィオレンティノ(伊: Calcio storico fiorentino、フィレンツェの歴史的カルチョ)は、16世紀のイタリアに起源を持つ初期フットボールの一種である。フィレンツェのサンタ・クローチェ広場がこのスポーツの揺り籠であり、「giuoco del calcio fiorentino」(フィレンツェのカルチョゲーム)あるいは単にcalcio(カルチョ)として知られるようになった。「カルチョ」は後にイタリア語でサッカーを示す名称となった。
カルチョの公式ルールは1580年[1]にジョヴァンニ・デ・バルディ伯爵[2]によって初めて発表された。ローマのハルパストゥムと同様に、カルチョは27名からなるチームによって足と手の両方を使ってプレーされた。ゴールは競技場の周辺の指定された場所にボールを投げ入れることによって得られた。競技場はゴールを構成する狭いスリットのある巨大な砂場である。主審が1人、線審が6人、フィールドマスターが1人いる。それぞれの試合は50分間行われ、最も多い点を得たチームが勝者となる。
元々、カルチョは裕福な貴族のものであり[1]、公現祭と四旬節の間の毎晩行われた。バチカンでは、クレメンス7世やレオ11世、ウルバヌス8世といった教皇でさえもカルチョをプレーしたことが知られている。
カルチョは200年あまりの間行われていなかったが、20世紀に入って1930年に復興された[1]。今日では、サンタ・クローチェ広場で毎年6月第3週に3試合が行われている。4チームが最初の2試合でそれぞれ対戦し、勝者がフィレンツェの守護聖人である聖ジョヴァンニの日、6月24日に行われる決勝に進む。現代版ではヘッドバット、パンチ、肘撃、首締めといった戦術は許されているが、不意打ちや頭部への蹴りは禁止されている[1]。
チーム
- Santa Croce / Azzurri(青)
- Santa Maria Novella / Rossi(赤)
- Santo Spirito / Bianchi(白)
- San Giovanni / Verdi(緑)
脚注
関連項目
- ヴォラータ
- イタリアのラグビーユニオン
外部リンク
- http://www.expertfootball.com/history/ History of Soccer from ExpertFootball.com
- http://www.youtube.com/watch?v=WsRqSNSjy3E Video: Calcio Storico Fiorentino Mini-Documentary
- http://www.puredesign.it/gallery2/main.php/v/calciostorico/ Photogallery: parade and match on 24 June 2008
カルチョ・フィオレンティノ
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「フットボール」の記事における「カルチョ・フィオレンティノ」の解説
詳細は「カルチョ・フィオレンティノ」を参照 16世紀、フィレンツェでは公現祭と四旬節の間の期間を祝して、サンタクローチェ広場(英語版)において今日「カルチョ・ストーリコ calcio storico」(歴史的カルチョ)として知られている競技を行っていた。都市の若い貴族達は立派な絹の衣装で着飾り、暴力的なフットボールの一種に飛び込んでいった。例えば、「カルチョ」の選手は、相手に対してパンチ、ショルダーチャージ、キックをすることが出来た。卑怯な殴打も許されていた。この競技は、軍事演習に起源があると言われている。1580年、Giovanni de' Bardi di Vernio伯爵は、「Discorso sopra 'l giuoco del Calcio Fiorentino(カルチョ・フィオレンティノの試合に関する論文)」を書いた。これは、最も初期のフットボール規則である。18世紀以降は行われなくなっていったが、1930年5月に復興された。
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