カルチョ・スキャンダルを越えて
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 04:58 UTC 版)
「ACFフィオレンティーナ」の記事における「カルチョ・スキャンダルを越えて」の解説
勝ち点の大幅剥奪から始まった2006-07シーズンであったが、トーニの破壊力は健在であり、クラブは連戦連勝、勝ち点剥奪がなければチャンピオンズリーグ圏内のリーグ3位(最終順位は5位)というシーズンとなった。またシーズン中にレギュラーポジションを獲得し成長したアレッサンドロ・ガンベリーニやゴールキーパーのセバスティアン・フレイを中心とした守備陣も奮闘し、チームはリーグ最少失点でシーズンを終えた。トーニはこのシーズン限りでバイエルン・ミュンヘンに去ったが、長い放浪の末フィオレンティーナでかつての輝きを取り戻したアドリアン・ムトゥ、チェーザレ・プランデッリ監督就任以降じっくりと育ててきた若手のジャンパオロ・パッツィーニやモントリーヴォがクラブの屋台骨を支える存在へと成長し、2007-08シーズンはリーグ戦4位、UEFAカップ準決勝進出というセリエA復帰後最高の成績で終わった。 2008-09シーズンはUEFAチャンピオンズリーグに出場するにあたり、大型補強を敢行する。アルベルト・ジラルディーノ、ステヴァン・ヨヴェティッチ、フアン・マヌエル・バルガス、フェリペ・メロなどの高額移籍金選手に投資した。かつての恩師の下で復活を果たしたジラルディーノや、ブラジル代表に初選出される程の存在感を示したフェリペ・メロら新戦力の活躍もあり、チャンピオンズリーグとの二足の草鞋にも耐え2年連続でリーグ戦を4位で終える。一方で大型補強の煽りを受け出場機会を減らした若手選手が不満を訴え、クラブはパッツィーニやパブロ・ダニエル・オスヴァルドらの有望若手選手数人を手放すことになる。9シーズンぶりに参加したチャンピオンズリーグでは予備予選を勝ち抜き本大会に出場するが、バイエルン・ミュンヘン、オリンピック・リヨンらに退けられ、グループリーグで敗退した。 2009-10シーズンには昨年活躍したメロの他、ズドラヴコ・クズマノヴィッチ、フランコ・セミオーリらを放出するも、思うように補強が進まず不安を抱えたままシーズンをスタートする。しかしながらチャンピオンズリーグではスポルティングCPとのプレーオフをアウェーゴールの差で辛くも突破し、続くグループリーグではヨヴェティッチらの活躍もありリヴァプールに連勝。昨年苦杯を呈したオリンピック・リヨンらを抑え首位で通過する。迎えた決勝トーナメント1回戦ではバイエルン・ミュンヘンと対戦。ファーストレグでは試合終了間際オフサイドポジションに居たミロスラフ・クローゼのゴールが認められる誤審もあり、トータルスコア4-4ながらもアウェーゴールの差で大会を去ることとなった。一方リーグ戦ではカップ戦での疲労もあってか不安定な戦いが続き、中位から下位を彷徨うことになる。冬には主将を務めていたダリオ・ダイネッリがジェノアに移籍、更にムトゥのドーピング陽性反応が発覚。これによりで同選手は9ヶ月の出場停止を言い渡されることになる。これらがチームのさらなるモチベーション低下に大きく影響したと見られ、その後もチームの調子は上がらず最終的にリーグを11位で終え、3年ぶりに欧州カップ戦の舞台から姿を消すこととなった。 2010-11シーズンは開幕前にヨヴェティッチが負傷で長期離脱が決定。出場停止のムトゥと併せ2大エースを欠いたままリーグ開幕を迎えたチームはその後も負傷者が相次ぎ、一時はリーグ最下位まで低迷する。しかしながら先述の両エースの戦線復帰に伴いチームは徐々に復調。最終的には降格圏の18位に勝ち点15差を付けリーグ9位でシーズンを終えた。 2011-12シーズンは開幕10試合で3勝4敗3分の成績不振からシニシャ・ミハイロヴィチが2011年11月6日のキエーヴォ戦に敗れた翌日、解任された。後任にはデリオ・ロッシが就任し、3バックに切り替えるなどしたものの、成績は上昇せず、終盤戦には残留争いに巻き込まれた。冬にはアマウリをユヴェントスから獲得したものの、1ゴールと完全な期待外れだった。2012年5月2日のノヴァーラ戦では、前半32分に途中交代を命じられたことに腹を立て、皮肉を込めた拍手をしたアデム・リャイッチにロッシが殴りかかり、試合後ロッシは解任された。後任にはチームマネジャーを務めていたヴィンチェンツォ・グエリーニが就任。残り2試合を指揮した。昨シーズン公式戦出場ゼロだったヨヴェティッチが14ゴールを決めてひとり気を吐くも、最終的には13位で終える。また、この年のシーズン終了後SDを務めたコルヴィーノが任期満了により退任した。
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