カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズムとは? わかりやすく解説

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カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 15:17 UTC 版)

現代思想」の記事における「カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズム」の解説

1980年代、カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズムという2つ思想潮流がほぼ同時期に発生し相互に影響与えつつ発展していった。カルチュラル・スタディーズは、リチャード・ホガードが初代所長となったバーミンガム大学現代文化研究センター (CCCS: Centre for Contemporary Cultural Studies) を起源一つとし、スチュアート・ホールとディック・ヘブディジ、ポール・ギルロイらの活動によって発展し各国広まっていっていった。ホガードは、大学卒業しばらくの間アダルト・エディケーション(日本いうところの夜間学校類するもの)で教鞭とっていことがあるが、このことに象徴されるように、カルチュラル・スタディーズ面々は、英国高等教育大衆文化の関係に直面し、その問題分析あたった。そのため文芸批評分析対象とするだけでなく、そのなかでも、いわゆる高級文化のみならずサブカルチャー大衆文化)をも手がかりにする点に特徴がある。大衆文化切り離せないメディア論駆使し比較文学文化人類学社会学政治学結びつきながら展開していった。 ポストコロニアリズムは、エドワード・サイード著したオリエンタリズム』(1978年)を嚆矢とする。サイードは、ミシェル・フーコー影響を受けつつ、第二次世界大戦後植民地だった地域次々独立果たしていき、また、戦後人文学研究の中心となったアメリカ合衆国で、多くマイノリティー二世三世大学学位をとるようになった時代背景に、西洋中心主義的な言説によっていかにオリエント(本著で問題とされているのは東洋ではなく中東アラブ)が構築され、それがいかに権力=知と結びついているのかを分析したのであるポスト構造主義ポストモダニズム影響の下、文化人類学社会学歴史学文学結びつきながら展開しマハトマ・ガンジー魯迅などの非西洋思想光を当てようとしたのである

※この「カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズム」の解説は、「現代思想」の解説の一部です。
「カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズム」を含む「現代思想」の記事については、「現代思想」の概要を参照ください。

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