カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズム
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「現代思想」の記事における「カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズム」の解説
1980年代、カルチュラル・スタディーズとポストコロニアリズムという2つの思想潮流がほぼ同時期に発生し、相互に影響を与えつつ発展していった。カルチュラル・スタディーズは、リチャード・ホガードが初代所長となったバーミンガム大学現代文化研究センター (CCCS: Centre for Contemporary Cultural Studies) を起源の一つとし、スチュアート・ホールとディック・ヘブディジ、ポール・ギルロイらの活動によって発展し、各国に広まっていっていった。ホガードは、大学卒業後しばらくの間アダルト・エディケーション(日本でいうところの夜間学校に類するもの)で教鞭をとっていたことがあるが、このことに象徴されるように、カルチュラル・スタディーズの面々は、英国の高等教育と大衆文化の関係に直面し、その問題の分析にあたった。そのため文芸批評も分析の対象とするだけでなく、そのなかでも、いわゆる高級文化のみならずサブカルチャー(大衆文化)をも手がかりにする点に特徴がある。大衆文化と切り離せないメディア論を駆使し、比較文学、文化人類学、社会学、政治学と結びつきながら展開していった。 ポストコロニアリズムは、エドワード・サイードが著した『オリエンタリズム』(1978年)を嚆矢とする。サイードは、ミシェル・フーコーに影響を受けつつ、第二次世界大戦後植民地だった地域は次々に独立を果たしていき、また、戦後人文学研究の中心地となったアメリカ合衆国で、多くのマイノリティーの二世・三世が大学で学位をとるようになった時代を背景に、西洋中心主義的な言説によっていかにオリエント(本著で問題とされているのは東洋ではなく中東アラブ)が構築され、それがいかに権力=知と結びついているのかを分析したのである。ポスト構造主義、ポストモダニズムの影響の下、文化人類学、社会学、歴史学、文学と結びつきながら展開し、マハトマ・ガンジーや魯迅などの非西洋の思想に光を当てようとしたのである。
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