土塔
名称: | 土塔 |
ふりがな: | どとう |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 大阪府 |
市区町村: | 堺市土塔町 |
管理団体: | 堺市(昭32・4・12) |
指定年月日: | 1953.03.31(昭和28.03.31) |
指定基準: | 史3 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | 平成17.03.02 |
解説文: | 土塔、又は塔山と呼ばれ、封土は截頭四角錐状を呈し、一辺54メートル乃至59メートル、高さ9メートル頂上部に方約5メートルの平坦部がある。全面にわたって奈良時代の■が多く見出されていて表面を被覆していたかと思われ、且つ行基創建の大野寺の後身と推定される大野寺が附近にあることから見て、奈良時代における仏教的施設の遺構と認められる。蓋し奈良市の頭塔に相対比すべきものなるべく、最近土取りのため一部削り去られたのは遺憾であるが、類例稀なものとして、宗教史上価値ある遺跡である。 |
土塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/04 05:45 UTC 版)
土塔(どとう)は、大阪府堺市中区土塔町にある階段ピラミッド形状の土製の仏塔。奈良時代に行基が建立した大野寺の境内に建立されたもので、大野寺土塔(おおのでらどとう)とも呼ばれる。国の史跡に指定され、多くの出土物が国の重要文化財に指定されている。
注釈
- ^ 露盤とは、宝形造の屋根頂部を飾るもの、または相輪のいちばん下にある四角い盤のこと。方形屋根、六注屋根(六角堂)、八注屋根(八角堂)において、屋根の頂部の雨仕舞の為に置かれる。
- ^ 笵(はん)とは、軒丸瓦や軒平瓦の蓮華紋や唐草紋で飾られた文様は、型に粘土を詰めて大量生産される。その軒瓦の型を「笵」といい、同じ笵で作った瓦を「同笵瓦」とよぶ。 同じ文様の瓦でも、同笵瓦とは限らず、同笵瓦の 決定的な証拠は、笵の「傷」である。 笵は通常木製のため、使用するうちに傷ができるため、この傷が軒瓦の文様に写し出されるためである。[1] 奈良文化財研究所
- ^ 亀腹とは、建築物の基礎部分や、鳥居の柱脚部などを、ふっくらとした饅頭のように盛った部分のこと
- ^ 心礎とは、塔の心柱の礎石のこと。中心に柱を受ける座や孔のあるものが多く、奈良前期以前では舎利を納める孔をもつものもある。
出典
- ^ a b c d e f g h i j k 史跡土塔 文字瓦聚成 2004, p. 1.
- ^ 伊丹市文化財保存協会『絲海』第34号「行基の遺産「土塔」をご存知ですか?」
- ^ a b c 堺市史 続編 第1巻 1971, p. 187.
- ^ a b c 大阪府史 第2巻 1990, p. 609.
- ^ 史跡土塔 遺構編 2007, p. 2.
- ^ a b c “土塔 / 史跡名勝天然記念物”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2023年6月19日閲覧。
- ^ 大阪府史 第2巻 1990, pp. 609–610.
- ^ a b c 史跡土塔 遺構編 2007, p. 71.
- ^ a b c d 史跡土塔 遺構編 2007, p. 72.
- ^ a b c 史跡土塔 文字瓦聚成 2004, pp. 1–5.
- ^ a b c d e “大阪府大野寺跡(土塔)出土品 / 国宝・重要文化財(美術工芸品)”. 国指定文化財等データベース / 文化庁. 2023年6月20日閲覧。
- ^ 史跡土塔 文字瓦聚成 2004, p. 97.
- ^ a b 史跡土塔 文字瓦聚成 2004, p. 83.
- ^ a b 大阪大学大学院助教 溝口優樹. “行基の活動を支えた地域社会”. 中外日報. 2023年6月19日閲覧。
- ^ 史跡土塔 遺構編 2007, p. 1.
- ^ a b c 史跡土塔 文字瓦聚成 2004, p. 89.
- ^ 史跡土塔 文字瓦聚成 2004, p. 99.
- ^ 史跡土塔 文字瓦聚成 2004, p. 106.
- ^ “大阪府大野寺跡(土塔)出土品”. 堺市 文化観光局 歴史遺産活用部 文化財課. 2023年6月20日閲覧。
- ^ a b c 史跡土塔 文字瓦聚成 2004, p. 107.
- ^ “土塔”. 堺市 文化観光局 歴史遺産活用部 文化財課. 2023年6月22日閲覧。
- ^ 史跡土塔 文字瓦聚成 2004, p. 111.
- ^ 史跡土塔整備事業報告書 2009, pp. 28–32.
- ^ 現地、土塔復元模型説明板による。
- ^ 平成28年8月17日文部科学省告示第116号。
- ^ a b 史跡土塔整備事業報告書 2009, pp. 2–3.
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