土生遺跡
名称: | 土生遺跡 |
ふりがな: | はぶいせき |
種別: | 史跡 |
種別2: | |
都道府県: | 佐賀県 |
市区町村: | 小城市三日月町 |
管理団体: | |
指定年月日: | 1973.06.02(昭和48.06.02) |
指定基準: | 史1 |
特別指定年月日: | |
追加指定年月日: | |
解説文: | S48-05-138[[土生]はぶ]遺跡.txt: 佐賀平野の北には、天山山系が東西に連なっている。遺跡は、その山系から発する祇園川と晴気川によってできたゆるやかな扇状地上に位置している。 遺跡からは住居跡が発見され、多数の木製農耕具・石器塁・土器塁などが検出された。本遺跡の性格は、伴出する城の越式土器などから、主として弥生式時代中期の農耕集落遺跡と認められる。また住居跡に伴うと推定される柱根十数本は、直径30センチ前後をはかり、底部には筏穴を設けるなど、弥生時代の建築部材としては稀有のものと目される。 このような遺跡の状況は、わが国の初期農耕文化の実相を考えるうえで、重要な資料を提供するものといえる。 |
土生遺跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 10:54 UTC 版)
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土生遺跡(はぶいせき)は、 佐賀県小城市三日月町久米字土生にある弥生時代前期から中期にかけての集落跡。1973年6月2日、国史跡に指定された。
概要
佐賀平野の北には、天山山系が東西に連なっている。遺跡は、その山系から発する祇園川と晴気川によってできたゆるやかな扇状地上に位置している[1]。
遺跡からは住居跡が発見され、多数の木製農耕具・石器塁・土器塁などが検出された。本遺跡の性格は、伴出する城の越式土器などから、主として弥生式時代中期の農耕集落遺跡と認められる。また住居跡に伴うと推定される柱根十数本は、直径30センチ前後をはかり、底部には筏穴を設けるなど、弥生時代の建築部材としては稀有のものと目される[1]。
このような遺跡の状況は、わが国の初期農耕文化の実相を考えるうえで、重要な資料を提供するものといえる[1]。
脚注
- ^ a b c “国指定文化財等データベース”. kunishitei.bunka.go.jp. 文化庁(一部改変). 2021年1月13日閲覧。
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