土生町とは? わかりやすく解説

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土生町

読み方:ハブチョウ(habuchou)

所在 大阪府岸和田市


土生町

読み方:ハブチョウ(habuchou)

所在 広島県府中市

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。

〒596-0825  大阪府岸和田市土生町
〒726-0021  広島県府中市土生町

土生町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/23 00:56 UTC 版)

はぶまち
土生町
廃止日 1953年5月1日
廃止理由 新設合併
重井村大浜村中庄村三庄町土生町田熊町豊田郡東生口村因島市
現在の自治体 尾道市
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
御調郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 13,488
国勢調査、1950年)
隣接自治体 田熊町、三庄町
土生町役場
所在地 広島県御調郡土生町
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土生町(はぶまち[1])は、広島県御調郡にあった。現在の尾道市の一部にあたる。

地理

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、御調郡土生村が単独で村制施行し、土生村が発足[1][2]。大字は編成せず[2]
  • 1918年(大正7年)1月1日、町制施行し土生町となる[1][2]
    • 同年、塩田を廃止[2]
  • 1953年(昭和28年)5月1日、御調郡重井村・大浜村・中庄村・三庄町・田熊町、豊田郡東生口村と合併し、市制施行し因島市を新設して廃止された[1][2]

地名の由来

埴生の転訛とされる[2]

産業

  • 農業、海運、漁業、製塩[2]

造船

  • 地元有力者により土生船渠合資会社設立[2]。1901年(明治34年)因ノ島船渠株式会社に改組したが1908年(明治41年)に閉鎖[2]。1911年(明治44年)大阪鉄工所が工場を買収し、翌年に操業[2]。1914年(大正3年)同鉄工所因島工場となる[2]。1936年(昭和11年)日立製作所の経営となり、1943年(昭和18年)日立造船所に改称[2]

交通

港湾

教育

  • 1921年(大正10年)町立土生実科高等女学校開校[2]。1938年(昭和13年)県立に移管し、1948年(昭和23年)広島県土生高等学校(現広島県立因島高等学校)となる[2]

脚注

  1. ^ a b c d 『市町村名変遷辞典』632頁。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『角川日本地名大辞典 34 広島県』651-652頁。

参考文献

関連項目



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