地蔵田遺跡とは? わかりやすく解説

地蔵田遺跡

名称: 地蔵田遺跡
ふりがな じぞうでんいせき
種別 史跡
種別2:
都道府県 秋田県
市区町村 秋田市御所野
管理団体
指定年月日 1996.11.06(平成8.11.06)
指定基準 史1
特別指定年月日
追加指定年月日
解説文: 地蔵田遺跡は秋田平野中央部位置する旧石器時代縄文時代中期弥生時代営まれ遺跡であり、雄物川岩見川合流点をのぞむ丘陵開析受けてできた標高三〇メートル段丘上に立地する。この遺跡秋田新都市開発整備事業に伴い昭和六十年に秋田市教育委員会地蔵田B遺跡の名称で発掘調査実施した発掘調査結果周囲木柵囲んだ弥生時代前期集落跡発見され注目集めたが、これを中心とする区域指定しようとするのである
 集落は、居住区周囲木柵楕円形囲みその周辺墓域および不用品廃棄場を配しており、弥生時代西日本環濠集落基本的な構造共通する。ただ、木柵がめぐる集落東北地方北部もとより全国的にもあまり類例がなく、この遺跡の特徴となっている。居住区画する木柵は、直径二〇センチメートルから三〇センチメートル木材密に立て並べたもので、一部二重にめぐり、内側のものが長径六一メートル短径四七メートル外側では長径64メートル短径五〇メートルである。木柵北西部分で柵列が一部とぎれ、そこから外側へ二列の列が延びており、そこが居住区主要な出入り口となっていた。この他にも、西部南部東南部に柵の途切れるところがあり出入り口考えられる。柵内部三軒円形竪穴住居が、中央の広場挟んでほぼ等間隔並んで向かい合い広場向けて出入り口配置する住居は、直径メートルから九・一メートル周溝めぐらし中央に炉を据え、炉のまわり四本主柱配する周溝途切れるところが出入り口となる。こうした構造弥生時代住居跡は、その後類例増加しており、この地方当時一般的な住居構造であることが明らかになりつつある。時期が下ると住居数は四軒に増加し、元の住居位置ずらして建て替えており、その規模直径メートルから一三メートル拡大するが、それとともに木柵取り払われる住居建て替え回数住居によって異なり二回から六回が認められる
 集落東側木柵接して直径四〇メートルほどの範囲墓域設定されている。墓は北東群と南東群に分かれ南東群に密集する。墓には土器墓二五基、土壙墓五一基がある。土器墓には壺形土器とし土器で覆うもの、壺形土器鉢形土器で覆うもの、壺形土器を甕形土器で覆うもの、壺形土器扁平な自然石をするもの、二個の甕形土器口を合わせるものの五種類がある。直径および高さは三〇センチメートルから五〇センチメートルである。内からは人骨副葬品などは出土していない土壙墓は、楕円形長方形隅丸長方形呈するものがあり、楕円形のものが多数占めるが不整な平面形を呈するものもある。土壙墓規模は、長軸長さが約一メートルから二メートルにおよび、一メートルから1・五メートルのものが多い。人骨出土はなかったが、二二四号土壙墓から凝灰岩製の小玉が、二五八土壙墓から碧玉製の玉、擬灰岩製の管玉玉髄製の勾玉が、二二七号土壙墓からはベンガラそれぞれ出土した
 居住区北西出入り口西側北東側には、多量土器石器とともに多量の自然礫を集積した一画がある。不用品がこの一画廃棄されたものと考えられる。 出土遺物には甕形土器鉢形土器高坏土器壺形土器土器構成される弥生土器の他に、石斧石鏃石錐石匙石棒磨石敲石環状石斧、玉類などの石器類石製品、有孔土製品土偶紡錘車などの土製品がある。このうち土器使用された壺形の土器は、西日本前期弥生土器制作技法器形文様共通する特徴備え遠賀川系土器であり、この集落が前三世紀の弥生時代前期成立し初期稲作農耕文化受容したことを明確に示している。これらの遠賀川系土器には他所から搬入したと考えられるものと地元制作されたと考えられるものがあり、このことは集落成立過程考えるうえで興味深い
 地蔵田遺跡は弥生時代前期に、初期稲作農耕文化携えた人々他所から移り住んでできた弥生集落と考えられるが、木柵居住区周囲巡らせるという独特な施設をもつ集落全体像良好に伝えている。この遺跡は、東北地方北部における稲作農耕文化受容成立過程とその地域的特質考えるうえで、ひいてはわが国稲作農耕文化成立の過程具体的に知るうえで特に重要であり、その歴史意義きわめて大きい。よって史跡指定し、その保存図ろうとするものである
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地蔵田遺跡

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/25 14:36 UTC 版)

地蔵田遺跡(じぞうでんいせき)は、秋田県秋田市四ツ小屋末戸松本字地蔵田に所在する旧石器時代縄文時代弥生時代にかけての複合遺跡である。特に台地上に築かれた木柵に囲まれた弥生時代前期の集落として知られている。国の史跡に指定されている。日本初の「市民の手づくり史跡整備」の例としても知られる。


注釈

  1. ^ 堀をともなわないので環濠集落とはいえないが、基本的に防御施設をともなわない縄文時代の集落に比較すると際だった対照性を有する。
  2. ^ 復元したなかで最大の第4号建物の直径は9.1メートル、面積は65.5平方メートルで、畳で換算すると約40畳に相当する。
  3. ^ 日本列島は概して酸性土壌に属し、温暖多雨の気候にあるため、長い年月には人骨は溶融してしまう。貝塚などカルシウム分や石灰質が豊富な遺跡や常に地下水の浸る低湿地を除くと縄文時代の人骨が遺存するケースは少ない。
  4. ^ 第2号建物は、切り合い関係の検討により、木柵が取り払われたあとに営まれたものと考えられているため、復元はなされていない。

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