厨川柵とは? わかりやすく解説

くりやがわ‐の‐き〔くりやがは‐〕【厨川の柵】

読み方:くりやがわのき

岩手県盛岡市北西部にあった古代の砦(とりで)。康平5年(1062)前九年の役で、源頼義義家父子安倍貞任(さだとう)・宗任(むねとう)兄弟攻め滅した所。


厨川柵

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/03 01:03 UTC 版)

厨川柵(くりやがわのさく)は、岩手県盛岡市内にあったとされる、俘囚の豪族安倍氏の勢力範囲最北の居館城柵)である。中世から近世には栗谷川栗屋河とも記される。衣川柵・嫗戸柵と並び安倍氏の重要拠点であった。同市天昌寺町付近にあったとされるが、所在地は広範囲にわたるとも見られ確実な遺構は発見されていない[2]


  1. ^ 「盛岡市指定文化財」盛岡市公式HP
  2. ^ a b 「厨川柵(くりやがわのさく・盛岡市)」岩手県公式HP(いわての文化情報大辞典)
  3. ^ a b 「盛岡市遺跡地図(2008年版)」盛岡市公式HP
  4. ^ a b 盛岡市教育委員会 1999 p.94
  5. ^ 盛岡市遺跡の学び館 2016 p.12
  6. ^ a b 盛岡市教育委員会 2007 p.2
  7. ^ a b 盛岡市遺跡の学び館 2018 pp.63-64
  8. ^ a b 盛岡市遺跡の学び館 2020 p.6
  9. ^ 盛岡市遺跡の学び館 2018 p.61


「厨川柵」の続きの解説一覧



厨川柵と同じ種類の言葉


固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「厨川柵」の関連用語

厨川柵のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



厨川柵のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
デジタル大辞泉デジタル大辞泉
(C)Shogakukan Inc.
株式会社 小学館
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの厨川柵 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS