厨川圭子とは? わかりやすく解説

厨川圭子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/25 14:37 UTC 版)

厨川 圭子(くりやがわ けいこ、1924年大正13年〉11月11日[1][2] - )は、日本翻訳家

夫は英文学者厨川文夫。旧姓は広瀬 圭子(ひろせ けいこ)[2]

オスカー・ワイルドサマセット・モームなどを訳し、後年は児童書を多く訳した。

略歴

厨川圭子は、医師・広瀬季雄の娘として中華民国奉天市(現・中華人民共和国瀋陽市[2]で生まれた[注釈 1]。1942年に東京府立第三高等女学校を卒業、1944年には津田英学塾を卒業した。終戦後の1946年、慶應義塾大学文学部英文科に女子学生の第一期生として入学し、西脇順三郎厨川文夫に師事して1949年卒業した。

1949年、1月に前妻と離婚した厨川文夫と同年7月結婚[4]。1950年、単身でアメリカへ1年間留学[注釈 2][5]。1952年には長男の明を出産した[4]。1956年、一家は明の転地療養のため東京都中野区から埼玉県浦和市(現さいたま市浦和区)に転居した[6]。文夫とは、サー・トマス・マロリーアーサーの死(抄訳)』(筑摩書房『世界文学大系』、第66巻『中世文学集II』所収、269頁 - 416頁、1966年9月)を共訳している[7]

1974年、文夫が慶應義塾大学を定年退任(成城大学教授に就任)すると、その夏に夫婦でヨーロッパ旅行に出かけ[8]スイスにかぎってはその翌年・翌々年の8月にも夫婦で二度三度と訪れた[9]。1978年、夫・厨川文夫が逝去した[9]

翻訳

サマセット・モーム

  • 『誘惑』(S・モーム、角川文庫) 1955
  • 『赤毛』(S・モーム、角川文庫) 1957
  • 月と六ペンス』(サマセット・モーム、角川文庫) 1958、のち改版
  • 『ジャングルの足跡』(S・モーム、角川文庫) 1959
  • 『宝』(S・モーム、角川文庫) 1964
  • 『お菓子とビール』(S・モーム、角川文庫) 1968、のち改版
  • 人間の絆』(モーム、旺文社文庫 上下) 1975

脚注

注釈

  1. ^ 厨川(広瀬)圭子が出生したころ、父・広瀬季雄(眼科医)は、日赤奉天病院または南満医学堂で勤務[3]
  2. ^ このとき夫・文夫は中野区大和町の広瀬季雄方へ転居。

出典

  1. ^ @kadokawahonyaku「KADOKAWA翻訳チーム」2024年11月11日。X(旧Twitter)より2025年9月5日閲覧。"11/11は翻訳家 #厨川圭子 さん #100歳の誕生日(中略)厨川先生 今日100歳の誕生日を迎えられました 今もお元気です"
  2. ^ a b c 日外アソシエーツ 編『現代翻訳者事典』日外アソシエーツ、1985年11月10日、211頁。NDLJP:12210357/112 
  3. ^ 井関九郎『批判研究・博士人物・医科続篇』発展社出版部、1936年2月7日、眼科の部18-19頁。NDLJP:1186274/526 
  4. ^ a b 回想の厨川文夫 1979, p. 313.
  5. ^ 回想の厨川文夫 1979, p. 226.
  6. ^ 回想の厨川文夫 1979, p. 314.
  7. ^ 回想の厨川文夫 1979, p. 317.
  8. ^ 回想の厨川文夫 1979, pp. 314–315.
  9. ^ a b 回想の厨川文夫 1979, p. 315.

参考文献





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