へいけものがたり【平家物語】
読み方:へいけものがたり
鎌倉時代の軍記物語。流布本は12巻に灌頂巻(かんじょうのまき)を加えたもの。信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)が作ったと徒然草にはあるが、作者・成立年ともに未詳。治承〜寿永期(1177〜1184)の動乱を、平家一門の興亡を中心にとらえ、仏教的無常観を基調に流麗な和漢混交文で描いた叙事詩風の作品。平曲として琵琶法師によって語られ、後世の文学に大きな影響を与えた。治承物語。平語。
平成5年(1993)から平成7年(1995)にかけてNHKで放映された人形劇。吉川英治の「新・平家物語」を原作にした時代劇。人形美術は川本喜八郎。川本は本作の人形美術で第24回伊藤熹朔賞特別賞を受賞。
へいけものがたり 【平家物語】
平家物語〈(長門本)/自一至廿〉
主名称: | 平家物語〈(長門本)/自一至廿〉 |
指定番号: | 1359 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1906.04.24(明治39.04.24) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 20冊 |
時代区分: | 室町 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 室町時代の作品。 |
平家物語〈覚一本/〉
主名称: | 平家物語〈覚一本/〉 |
指定番号: | 1391 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1911.04.17(明治44.04.17) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | |
員数: | 12冊 |
時代区分: | 室町 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 室町時代の作品。 |
平家物語
主名称: | 平家物語 |
指定番号: | 1769 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1956.06.28(昭和31.06.28) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 書跡・典籍 |
ト書: | 応永廿六年、廿七年書写奥書 |
員数: | 12冊 |
時代区分: | 室町 |
年代: | 1419・20 |
検索年代: | |
解説文: | 室町時代の作品。 |
平家物語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/05/11 13:52 UTC 版)

『平家物語』(へいけものがたり)は日本における作者不詳の軍記物語である。鎌倉時代に成立したとされ、平家の栄華と没落、武士階級の台頭などが描かれている。
概要

保元の乱および平治の乱に勝利した平家と敗れた源氏の対照的な姿、その後の源平の戦いから平家の滅亡、そして没落しはじめた平安貴族と新たに台頭した武士たちの人間模様などを描いた。「祇園精舎の鐘の声……」の有名な書き出しでも広く知られている。
成り立ち
平家物語という題名は後年の呼称であり、当初は『保元物語』や『平治物語』と同様に、合戦が本格化した『治承物語』(じしょうものがたり)と呼ばれていたと推測されているが、確証はない[要出典]。
正確な成立時期は分かっていないものの、仁治元年(1240年)に藤原定家によって書写された『兵範記』(平信範の日記)の紙背文書に「治承物語六巻号平家候間、書写候也」とあるため、それ以前に成立したと考えられている[要出典]。しかし、『治承物語』が現存の平家物語にあたるかという問題も残り、確実ということはできない[要出典]。少なくとも延慶本の本奥書、延慶2年(1309年)以前には成立していたものと考えられている[要出典]。
作者
作者については不明であり、古来多くの説がある。現存最古の記述は鎌倉末期の『徒然草』(兼好法師作)で、信濃前司行長(しなののぜんじゆきなが)なる人物が平家物語の作者であり、生仏(しょうぶつ)という盲目の僧に教えて語り手にしたとする[注 1]。
その他にも、生仏が東国出身であったので、武士のことや戦の話は生仏自身が直接武士に尋ねて記録したことや、更には生仏と後世の琵琶法師との関連まで述べているなど、その記述は実に詳細である。
この信濃前司行長なる人物は、九条兼実に仕えていた家司で、中山(藤原氏)中納言顕時の孫である下野守藤原行長ではないかと推定されている[要出典]。また、『尊卑分脈』や『醍醐雑抄』『平家物語補闕剣巻』では、やはり顕時の孫にあたる葉室時長(はむろときなが、藤原氏)が作者であるとされている。なお、藤原行長とする説では「信濃前司は下野前司の誤り」としているが、『徒然草』では同人を「信濃入道」とも記している(信濃前司行長=信濃入道=行長入道)。
そのため信濃に縁のある人物として、親鸞の高弟で法然門下の西仏という僧とする説がある[要出典]。この西仏は、大谷本願寺や康楽寺(長野県篠ノ井塩崎)の縁起によると、信濃国の名族滋野氏の流れを汲む海野小太郎幸親の息子で幸長(または通広)とされており、大夫坊覚明の名で木曾義仲の軍師として、この平家物語にも登場する人物であるが、海野幸長・覚明・西仏を同一人物とする説は伝承のみで、史料的な裏付けはない。
諸本

現存している諸本は、次の三系統に分けられる。
- 盲目の僧として知られる琵琶法師(当道座に属する盲人音楽家。検校など)が日本各地を巡って口承で伝えてきた語り本(語り系、当道系とも)の系統に属するもの。
- 読み物として整理された読み本系統のもの。
- 延慶本:かつて増補系とされた説話などの集合された状態を残すもの。水原一により「延慶本古態説」が提唱され、これらの様々な記事は話が増補されたのではなく、『平家物語』は各説話、伝承、日記、戦記などが集合して成立した物語であり、これが古態であるとする。逆に後続の本は「長門本」、「源平盛衰記」などから延慶本の整理が始まり、その過程で物語の骨格が明確にされたとする[2]。
語り本系
語り本系は八坂流系(城方本)と一方(都方)流系(覚一本)とに分けられる。
八坂流系諸本は、平家四代の滅亡に終わる、いわゆる「断絶平家」十二巻本である。一方、一方流系諸本は壇ノ浦で海に身を投げながら助けられ、出家した建礼門院が念仏三昧に過ごす後日談や、侍女の悲恋の物語である「灌頂徴」がある。
平曲
語り本は当道座に属する盲目の琵琶法師によって琵琶を弾きながら語られた。これを「平曲」と呼ぶ。ここでいう「語る」とは、節を付けて歌うことで、内容が叙事的なので「歌う」と言わずに「語る」というのである。これに使われる琵琶を平家琵琶と呼び、構造は楽琵琶と同じで、小型のものが多く用いられる。なお、近世以降に成立した薩摩琵琶や筑前琵琶でも平家物語に取材した曲が多数作曲されているが、音楽的には全く別のもので、これらを平曲とは呼ばない。
平曲の流派としては当初は八坂流(伝承者は「城」の字を継承)と一方流(伝承者は「一」の字を継承)の2流が存在した。八坂流は早くに衰え、現在ではわずかに「訪月(つきみ)」の一句が伝えられているのみである。一方流は江戸時代に前田流と波多野流に分かれた。波多野流は当初からふるわず、前田流のみ栄えた。安永5年(1776年)には名人と謳われた荻野検校(荻野知一検校)が前田流譜本を集大成して『平家正節』(へいけまぶし)を完成させ、以後は同書が前田流の定本となった。
明治維新後は江戸幕府の庇護を離れた当道座が解体したため、平曲を伝承する者も激減した。昭和期には宮城県仙台市に館山甲午(1894年生~1989年没)、愛知県名古屋市に荻野検校の流れを汲む井野川幸次・三品正保・土居崎正富の3検校だけとなり、しかも全段を語れるのは晴眼者であった館山のみとなっていた。平曲は国の記録作成等の措置を講ずべき無形文化財に選択されて保護の対象となっており、それぞれの弟子が師の芸を伝承している。
2018年(平成30年)時点では三品検校の弟子である今井勉が生存しているだけで、今井に弟子はいない状況である。平曲にまつわる文化を研究・伝承するため、武蔵野音楽大学の薦田治子らにより「平家語り研究会」が2015年に発足。かつては約200曲あったとされるうち現在まで伝わる8曲の譜や録音の研究、地歌や筝曲の演奏家による平曲の公演などを行っている[3]。
平曲の発生として、東大寺大仏の開眼供養の盲目僧まで遡ることが『日本芸能史』等で説かれているが、平曲の音階・譜割から、天台宗大原流の声明(しょうみょう)の影響下に発生したものと考える説が妥当と判断される。また、平曲は娯楽目的ではなく、鎮魂の目的で語られたということが本願寺の日記などで考証されている。 また後世の音楽、芸能に取り入れられていることも多く、ことに能(修羅物)には平家物語に取材した演目が多い。
読み本系
読み本系には、長門本、源平盛衰記などの諸本がある。従来は、延慶本と共に琵琶法師によって広められた語り本系を読み物として見せるために「断絶平家」十二巻本に加筆されていったと解釈されてきたが[4]、これは逆に古い状態を残し、延慶本が最も古態であり説話などが集成された形跡を残していて、長門本、源平盛衰記は、それを整理する過程の本であるとする見解の方が有力となってきている[2]。
水野一は1979年「延慶本古態説」とともに、既存の分類を改め、上記の延慶本、長門本、源平盛衰記の三書を「広本」、以降の諸本を「略本」との分類用語を提起するが、まだ端緒に留まっている[5]。
天草版
大英博物館には、1592(文禄1)年にポルトガル式ローマ字で書かれた天草版「平家物語」が存在する。これは「日本の言葉と歴史を習い知らんと欲する人のために」書かれたとその扉絵に記されている[要出典]。
刊行本
現在入手しやすい版本。
- 日本古典文学大系 上・下 高木市之助・小沢正夫・渥美かをる・金田一春彦 岩波書店 1959年 (上)ISBN 978-4000600323 (下)ISBN 978-4000600330 底本:龍谷大学図書館蔵本(覚一本系)
- 角川文庫 上・下 佐藤謙三・春田宣 1959年 (上)ISBN 978-4044007010 (下)ISBN 978-4044007027 底本:寛文十二年刊平仮名整版本
- 新日本古典文学大系 上・下 梶原正昭・山下宏明 岩波書店 1991-1993年 (上)ISBN 978-4002400440 (下)ISBN 978-4002400457 底本:高野本[6]
- 新編日本古典文学全集 45・46 市古貞次 小学館 1994年 (1)ISBN 978-4096580455 (2)ISBN 978-4096580462 底本:高野本
- 完訳日本の古典 42~45 市古貞次 1973-1975年 小学館 (1)ISBN 978-4095560427 (2)ISBN 978-4095560434 (3)ISBN 978-4095560441 (4)ISBN 978-4095560458 底本:高野本
- 新潮日本古典集成 上・中・下 水原一 1979-1981年、新装版2016年 新潮社 (上)ISBN 978-4106203251 中)ISBN 978-4106203374 (下)ISBN 978-4106203473 底本:国立国会図書館蔵本[注 2]
- 講談社学術文庫 全訳注 杉本圭三郎 1979-1991年(1-12)/ 新装版(1-4)2017年 (1)ISBN 978-4062924207 (2)ISBN 978-4062924214 (3)ISBN 978-4062924221 (4)ISBN 978-4062924238 底本:高野本
- 岩波文庫 全4巻 梶原正昭・山下宏明 1999年 (1)ISBN 978-4003011317 (2)ISBN 978-4003011324 (3)ISBN 978-4003011331 (4)ISBN 978-4003011348 底本:高野本
- ワイド版 岩波文庫 同上、2008年 (1)ISBN 978-4000073004 (2)ISBN 978-4000073011 (3)ISBN 978-4000073028 (4)ISBN 978-4000073035
- 講談社文庫 上・下 高橋貞一 1972年 (上)ISBN 978-4-06-131050-6 (下)ISBN 978-4-06-131051-3 底本:流布本・元和九年刊片仮名交り附訓12行整版本(流布本系)
- 武蔵野書院 全1巻 大津雄一・平藤幸 2014年 ISBN 978-4838606504 底本:高野本
構成

※12巻本、灌頂巻が独立している語り本系の構成を掲載する。
- 巻第一
- 祇園精舎、殿上闇討、鱸、禿髪、我身栄花、祗王、二代后、額打論、清水寺炎上、東宮立、殿下乗合、鹿谷、俊寛沙汰、願立、御輿振、内裏炎上
- 巻第二
- 座主流、一行阿闍梨之沙汰、西光被斬、小教訓、少将乞請、教訓状、烽火之沙汰、大納言流罪、阿古屋之松、大納言死去、徳大寺之沙汰、堂衆合戦、山門滅亡、善光寺炎上、康頼祝言、卒都婆流、蘇武
- 巻第三
- 赦文、足摺、御産、公卿揃、大塔建立、頼豪、少将都帰、有王、僧都死去、辻風、医師問答、無文、燈炉之沙汰、金渡、法印問答、大臣流罪、行隆之沙汰、法皇被流、城南之離宮
- 巻第四
- 厳島御幸、還御、源氏揃、鼬之沙汰、信連、競、山門牒状、南都牒状、永僉議、大衆揃、橋合戦、宮御最期、若宮出家、通乗之沙汰、ぬえ、三井寺炎上
- 巻第五
- 都遷、月見、物怪之沙汰、早馬、朝敵揃、咸陽宮、文覚荒行、勧進帳、文覚被流、福原院宣、富士川、五節之沙汰、都帰、奈良炎上
- 巻第六
- 新院崩御、紅葉、葵前、小督、廻文、飛脚到来、入道死去、築島、慈心房、祇園女御、嗄声、横田河原合戦
- 巻第七
- 清水冠者、北国下向、竹生島詣、火打合戦、願書、倶梨迦羅落、篠原合戦、実盛、玄肪、木曾山門牒状、返牒、平家山門連署、主上都落、聖主臨幸、忠度都落、経正都落、青山之沙汰、一門都落、福原落
- 巻第八
- 山門御幸、名虎、緒環、太宰府落、征夷将軍院宣、猫間、水島合戦、瀬尾最後、室山、鼓判官、法住寺合戦
- 巻第九
- 生好沙汰、宇治川先陣、河原合戦、木曾最期、樋口被討罰、六ヶ度軍、三草勢揃、三草合戦、老馬、一二之懸、二度之懸、坂落、越中前司最期、忠度最期、重衡生捕、敦盛最期、知章最期、落足、小宰相身投
- 巻第十
- 首渡、内裏女房、八島院宣、請文、戒文、海道下、千手前、横笛、高野巻、惟盛出家、熊野参詣、惟盛入水、三日平氏、藤戸、大嘗会之沙汰
- 巻第十一
- 巻第十二
- 大地震、紺掻之沙汰、平大納言被流、土佐房被斬、判官都落、吉田大納言沙汰、六代、泊瀬六代、六代被斬
- 灌頂巻
- 女院出家、大原入、大原御幸、六道之沙汰、女院死去
関連項目
人物
これら右筆が書いた合戦記が平家物語に採用されたと見られている。
史料
古典
- 『源平盛衰記』 - 平家物語の一異本。
- 『源平闘諍録』 - 平家物語の一異本。
- 『保元物語』 - 平家物語以前の出来事を描いている。
- 『平治物語』 - 同上。
- 『義経記』 - 源義経の伝説を描く。源平合戦以前と奥州藤原氏への亡命を主に描く。
能
幸若舞
人形浄瑠璃・古典歌舞伎
近代以降の関連作品
- 活歴・新歌舞伎・新作歌舞伎
- 戯曲
- 現代語訳・抄訳
- 『現代語訳 平家物語』青空文庫
- 『現代語訳 平家物語』中山義秀、河出文庫 全3巻で再刊
- 『現代語訳 平家物語』尾崎士郎、岩波現代文庫 上下で再刊
- 『平家物語 古典新訳』古川日出男(河出書房新社、池澤夏樹=個人編集 日本文学全集所収)、河出文庫 全4巻で再刊
- 『吉村昭の平家物語』吉村昭、講談社文庫で再刊
- 『平家物語』水上勉
- 『英語で読む平家物語』ベンジャミン・ウッドワード
- 小説
- 『耳なし芳一』 小泉八雲(『怪談』所収)
- 『新・平家物語』吉川英治(映画化・テレビドラマ化・テレビ人形劇化がされている)
- 『宮尾本 平家物語』宮尾登美子(テレビドラマ化がされている)
- 『双調 平家物語』橋本治
- 『平家物語』光瀬龍
- 『平家物語』森村誠一
- 『平家物語』林真理子
- 映画
- 漫画
- 絵本
- 歌謡曲
- 組曲アルバム「平家物語」(三波春夫)
- アニメ版
- 『平家物語 (アニメ)』、テレビアニメ版全11話で原作は古川日出男
その他
脚注
注釈
出典
- ^ 佐竹昭広・久保田淳 編『方丈記 徒然草(新 日本古典文学大系39)』岩波書店、1989年、295頁。
- ^ a b 水原一『延慶本平家物語考証1』、新典社、1994年、pp.68-98
- ^ 【文化往来】平家物語の弾き語りを研究会が公演『日本経済新聞』朝刊2018年8月20日(文化面)2018年9月17日閲覧。
- ^ 高橋貞一『平家物語諸本の研究』富山房、1943年(昭和18年)第4章「増補せられたる諸本の研究」pp.299-300
- ^ 水原一 1979, p. 34.
- ^ 東京大学文学部国語研究室蔵高野辰之氏旧蔵本(覚一本系)。
- ^ “2021年版は“新たな旅立ち”、野村萬斎が新演出で届ける「子午線の祀り」詳細解禁(コメントあり)”. ステージナタリー (2020年12月25日). 2020年12月27日閲覧。
参考文献
- 山田孝雄『平家物語』寶文館、1915年。
- 石母田正『平家物語』岩波書店〈岩波新書〉、1957年。ISBN 9784004140283
- 梶原正昭『平家物語』講談社〈講談社現代新書120〉、1967年。
- 市古貞次編『平家物語辞典』明治書院、1973年。
- 市古貞次編『平家物語研究事典』明治書院、1978年。
- 水原一『延慶本平家物語論考』加藤中道館、1979年。doi:10.11501/12455104。
- 水原一 編『延慶本平家物語考証1』、新典社、1994年
- 日下力・鈴木彰・出口久徳『平家物語を知る事典』東京堂出版、2005年。 ISBN 9784490106640
- 大津雄一・日下力・佐伯真一・櫻井陽子編『平家物語大事典』東京書籍、2010年。 ISBN 9784487799831
- 西沢正史編『平家物語作中人物事典』東京堂出版、2017年。 ISBN 9784490108873
関連文献
- 単著
- 山田孝雄『平家物語の語法』上・下、寶文館、1954年。
- 岩井良雄『流布本平家物語語法考』笠間書院〈笠間叢書92〉、1978年。
- 渥美かをる『平家物語の基礎的研究』笠間書院〈笠間叢書95〉、1978年。
- 永積安明『平家物語を読む:古典文学の世界』岩波書店〈岩波ジュニア新書16〉、1980年。
ISBN 4005000169
- 復刊[1]吉川弘文館〈読みなおす日本史〉2022年 ISBN 9784642073172
- 上横手雅敬『平家物語の虚構と真実』塙書房、1985年(上〈塙新書61〉 ISBN 4827340617/下〈塙新書62〉 ISBN 4827340625)
- 西田直敏『平家物語の国語学的研究』和泉書院〈研究叢書88〉、1990年。 ISBN 4870884194
- 高橋貞一『平家物語長門本延慶本新考』和泉書院〈和泉選書81〉、1993年。 ISBN 4870886200
- 江口正弘『天草版平家物語の語彙と語法』笠間書院〈笠間叢書267〉、1994年。 ISBN 4305102676
- 正木信一『「平家物語」:内から外から』新日本出版社〈新日本新書481〉、1996年。 ISBN 4406024816
- 島津忠夫『平家物語試論』汲古書院、1997年。 ISBN 4762934054
- 兵藤裕己『平家物語:「語り」のテクスト』筑摩書房〈ちくま新書173〉、1998年。 ISBN 4480057730
- 榊原千鶴『平家物語:創造と享受』三弥井書店〈三弥井選書26〉、1998年。 ISBN 4838290454
- 細川涼一『平家物語の女たち:大力・尼・白拍子』講談社〈講談社現代新書1424〉、1998年。
ISBN 4061494244
- 復刊[2]吉川弘文館〈読みなおす日本史〉2017年 ISBN 9784642067560
- 松尾美恵子『異形の平家物語:竜と天狗と清盛と』和泉書院、1999年。 ISBN 4870889781
- 兵藤裕己『平家物語の歴史と芸能』吉川弘文館、2000年 ISBN 9784642085175。オンデマンド版[3] 2019年 ISBN 9784642785174
- 阿部達二『江戸川柳で読む平家物語』文藝春秋〈文春新書121〉、2000年。 ISBN 4166601210
- 小林美和『平家物語の成立』和泉書院〈研究叢書249〉、2000年。 ISBN 4757600429
- 早川厚一『平家物語を読む:成立の謎をさぐる』和泉書院〈和泉選書120〉、2000年。 ISBN 4757600380
- 櫻井陽子『平家物語の形成と受容』汲古書院、2001年。 ISBN 4762934380
- 櫻井陽子『『平家物語』本文考』汲古書院、2013年。 ISBN 9784762936104
- 志立正知『『平家物語』語り本の方法と位相』汲古書院、2004年。 ISBN 4762934593
- 深澤邦弘『平家物語における「生」』新典社〈研究叢書170〉、2005年。 ISBN 4787941704
- 板坂耀子『平家物語:あらすじで楽しむ源平の戦い』中央公論新社〈中公新書1787〉、2005年。 ISBN 4121017870
- 鈴木彰『平家物語の展開と中世社会』汲古書院、2006年。 ISBN 476293545X
- 山下正治『平家物語と法師たち:中世の仏教文学的展開』笠間書院、2007年。 ISBN 9784305703484
- 近藤政美『天草版『平家物語』の原拠本、および語彙・語法の研究』和泉書院〈研究叢書376〉、2008年。 ISBN 9784757604612
- 佐伯雅子『平家物語の死生学』新典社、2008年(上巻〈新典社新書16〉 ISBN 9784787961167/下巻〈新典社新書17〉 ISBN 9784787961174)
- 日下力『「平家物語」という世界文学』笠間書院、2017年。 ISBN 9784305708366
- 山下宏明『『平家物語』の能・狂言を読む』汲古書院、2018年。 ISBN 9784762936388
- 永井晋『平氏が語る源平争乱』[4]吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉2018年 ISBN 9784642058797
- 濱中修『平家物語とその周辺:女性たちの物語』新典社〈新典社新書79〉、2020年。 ISBN 9784787961792
- 栃木孝惟『源頼政と『平家物語』:埋もれ木の花咲かず』[5]吉川弘文館 2023年 ISBN 9784642086370
- 佐伯真一 『平家物語の合戦:戦争はどう文学になるのか』[6] 吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉2025年 ISBN 9784642306171
- 編著
- 高木市之助・永積安明・市古貞次・渥美かをる編著『平家物語』三省堂〈国語国文学研究史大成9〉、1960年。(増補版、1977年)
- 山下宏明編『軍記物語の生成と表現』和泉書院〈研究叢書166〉、1995年。 ISBN 4870887207
- 山下宏明編『平家物語研究と批評』有精堂出版、1996年。 ISBN 4640310765
- 小峯和明編『『平家物語』の転生と再生』笠間書院、2003年。 ISBN 4305702533
- 鈴木則郎編『平家物語「伝統」の受容と再創造』おうふう、2011年。 ISBN 9784273036331
- 講座
- 『あなたが読む平家物語』有精堂出版
- 第1巻、栃木孝惟編「平家物語の成立」1993年11月。 ISBN 464030286X
- 第2巻、水原一編「平家物語:説話と語り」1994年1月。 ISBN 4640302878
- 第3巻、杉本圭三郎編「平家物語と歴史」1994年9月。 ISBN 4640302886
- 第4巻、山下宏明編「平家物語:受容と変容」1993年10月。 ISBN 4640302894
- 第5巻、梶原正昭編「平家語り:伝統と形態」1994年9月。 ISBN 4640302908
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(国立国会図書館デジタルコレクション)山田孝雄校訂、岩波文庫
平家物語
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嫉妬に狂う鬼としての橋姫が現われるのは、『平家物語』の読み本系異本の『源平盛衰記』・『屋代本』などに収録されている「剣巻」で、橋姫の物語の多くの原型となっている。異本であるため、出版されている『平家物語全集』の類の多くには収録されていない。 嵯峨天皇の御宇に、或る公卿の娘、余りに嫉妬深うして、貴船の社に詣でて七日籠りて申す様、「帰命頂礼貴船大明神、願はくは七日籠もりたる験には、我を生きながら鬼神に成してたび給へ。妬しと思ひつる女取り殺さん」とぞ祈りける。明神、哀れとや覚しけん、「誠に申す所不便なり。実に鬼になりたくば、姿を改めて宇治の河瀬に行きて三七日漬れ」と示現あり。女房悦びて都に帰り、人なき処にたて籠りて、長なる髪をば五つに分け五つの角にぞ造りける。顔には朱を指し、身には丹を塗り、鉄輪を戴きて三つの足には松を燃やし、続松を拵へて両方に火を付けて口にくはへ、夜更け人定りて後、大和大路へ走り出で、南を指して行きければ、頭より五つの火燃え上り、眉太く、鉄〓(かねぐろ)にて、面赤く身も赤ければ、さながら鬼形に異ならずこれを見る人肝魂を失ひ、倒れ臥し、死なずといふ事なかりけり。斯の如くして宇治の河瀬に行きて、三七日漬りければ、貴船の社の計らひにて、生きながら鬼となりぬ。宇治の橋姫とはこれなるべし。さて妬しと思ふ女、そのゆかり、我をすさむ男の親類境界、上下をも撰ばず、男女をも嫌はず、思ふ様にぞ取り失ふ。男を取らんとては女に変じ、女を取らんとては男に変じて人を取る。京中の貴賤、申の時より下になりぬれば、人をも入れず、出づる事もなし。門を閉ぢてぞ侍りける。その頃摂津守頼光の内に、綱・公時・貞道・末武とて四天王を仕はれけり。中にも綱は四天王の随一なり。武蔵国の美田といふ所にて生れたりければ、美田源次とぞ申しける。一条大宮なる所に、頼光聊か用事ありければ、綱を使者に遣はさる。夜陰に及びければ鬚切を帯かせ、馬に乗せてぞ遣はしける。彼処に行きて尋ね、問答して帰りけるに、一条堀川の戻橋を渡りける時、東の爪に齢二十余りと見えたる女の、膚は雪の如くにて、誠に姿幽なりけるが、紅梅の打着に守懸け、佩帯(はいたい)の袖に経持ちて、人も具せず、只独り南へ向いてぞ行きける。綱は橋の西の爪を過ぎけるを、はたはたと叩きつつ、「やや、何地へおはする人ぞ。我らは五条わたりに侍り、頻りに夜深けて怖し。送りて給ひなんや」と馴々しげに申しければ、綱は急ぎ馬より飛び下り、「御馬に召され侯へ」と言ひければ、「悦しくこそ」と言ふ間に、綱は近く寄つて女房をかき抱きて馬に打乗らせて堀川の東の爪を南の方へ行きけるに、正親町へ今一二段が程打ちも出でぬ所にて、この女房後へ見向きて申しけるは、「誠には五条わたりにはさしたる用も侯はず。我が住所(すみか)は都の外にて侯ふなり。それ迄送りて給ひなんや」と申しければ、「承り侯ひぬ。何く迄も御座所へ送り進らせ侯ふべし」と言ふを聞きて、やがて厳しかりし姿を変へて、怖しげなる鬼になりて、「いざ、我が行く処は愛宕山ぞ」と言ふままに、綱がもとどりを掴みて提げて、乾の方へぞ飛び行きける。綱は少しも騒がず件の鬚切をさつと抜き、空様に鬼が手をふつと切る。綱は北野の社の廻廊の星の上にどうと落つ。鬼は手を切られながら愛宕へぞ飛び行く。さて綱は廻廊より跳り下りて、もとどりに付きたる鬼が手を取りて見れば、雪の貌に引替へて、黒き事限りなし。白毛隙なく生ひ繁り銀の針を立てたるが如くなり。これを持ちて参りたりければ、頼光大きに驚き給ひ、不思議の事なりと思ひ給ひ、「晴明を召せ」とて、播磨守安倍晴明を召して、「如何あるべき」と問ひければ、「綱は七日の暇を賜りて慎むべし。鬼が手をば能く能く封じ置き給ふべし。祈祷には仁王経を講読せらるべし」と申しければ、そのままにぞ行なはれける。 — J-TEXTS 日本文学電子図書館: 平家物語 剣巻 より抜粋 (PD) 大意は次の通り。 嵯峨天皇の御世(809年-825年)、とある公卿の娘が深い妬みにとらわれ、貴船神社に7日間籠って「貴船大明神よ、私を生きながら鬼神に変えて下さい。妬ましい女を取り殺したいのです」と祈った。明神は哀れに思い「本当に鬼になりたければ、姿を変えて宇治川に21日間浸れ」と告げた。 女は都に帰ると、髪を5つに分け5本の角にし、顔には朱をさし体には丹を塗って全身を赤くし、鉄輪(かなわ、鉄の輪に三本脚が付いた台)を逆さに頭に載せ、3本の脚には松明を燃やし、さらに両端を燃やした松明を口にくわえ、計5つの火を灯した。夜が更けると大和大路を南へ走り、それを見た人はその鬼のような姿を見たショックで倒れて死んでしまった。そのようにして宇治川に21日間浸ると、貴船大明神の言ったとおり生きながら鬼になった。これが「宇治の橋姫」である。 橋姫は、妬んでいた女、その縁者、相手の男の方の親類、しまいには誰彼構わず、次々と殺した。男を殺す時は女の姿、女を殺す時は男の姿になって殺していった。京中の者が、申の時(15~17時ごろ)を過ぎると家に人を入れることも外出することもなくなった。 そうした頃、源頼光の四天王の1人源綱が一条大宮に遣わされた。夜は(橋姫のせいで)危険なので、名刀「鬚切(ひげきり)」を預かり、馬で向かった。 その帰り道、一条堀川の戻橋を渡る時、女性を見つけた。見たところ20歳余で、肌は雪のように白く、紅梅色の打衣を着て、お経を持って、一人で南へ向かっていた。 綱は「夜は危ないので、五条まで送りましょう」と言って、自分は馬から降りて女を乗せ、堀川東岸を南に向かった。正親町の近くで女が「実は家は都の外なのですが、送って下さらないでしょうか」と頼んだので、綱は「分かりました。お送りします」と答えた。すると女は鬼の姿に変わり、「愛宕山へ行きましょう」と言って綱の髪をつかんで北西へ飛び立った。 綱はあわてず、鬚切で鬼の腕を断ち斬った。綱は北野の社に落ち、鬼は手を斬られたまま愛宕へ飛んでいった。綱が髪をつかんでいた鬼の腕を手に取って見ると、雪のように白かったはずが真っ黒で、銀の針を立てたように白い毛がびっしり生えていた。 鬼の腕を頼光に見せると頼光は大いに驚き、安倍晴明を呼んでどうすればいいか問うた。晴明が「綱は7日間休暇を取って謹慎して下さい。鬼の腕は私が仁王経を読んで封印します」と言ったので、その通りにさせた。 剣巻では橋姫の腕を斬った「鬚切」はこの事件により「鬼丸(おにまる)」と呼ばれるようになったとされる。綱の羅生門の鬼退治(『酒呑童子』)や多田満仲の戸隠山の鬼退治(『太平記』)などで振るわれた鬼切(おにきり)と同一視されることが多い、鬼と縁が深い名刀である。 橋姫が浸った川は宇治川で、祭られているのは宇治川の宇治橋だが、綱が橋姫と出合ったのは堀川の一条戻り橋である。 歳月の経過は特に描写されていないが、源頼光・源綱・安倍晴明の時代は「嵯峨天皇の御世」の200年近く後である。
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