きふねじんじゃ 【貴船神社】
貴船神社
| 貴船神社 きふね (旧称) 貴布禰社、木船 ご祭神 高 鎮座地 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180 ![]() |
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| 社伝によると、第十八代反正天皇(406~410)の御時に創建されたとあり、第四十代天武天皇白鳳六年(677)に社殿造り替えの記録もある。それ以後、たびたびの造営が成され、文久三年(1863)までに36回も行われたと伝えられている。 | ||||||||||||
| 社殿はあるが、貴船山全体が御神体であり、貴船川の川上の神といわれるようにこの神は水を主宰し、特に雨乞いと雨止みに霊験があらたかであるとされている。祈雨の際には黒馬を、祈晴の際には白馬(後世は赤馬でもよいとされた)を神馬として献じたと伝えられている。とくに平安遷都後は大和の丹生川上神社と並び称され、名神大社に列し、二十二 社のひとつでもあった。 | ![]() |
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| 賀茂社とともに平安京を守護する神として、長らく賀茂社の支配下におかれた。祈雨・止雨の神であるとともに平安時代より恋愛にまつわる、丑の刻詣などの説話や民間伝承も広く知られており、全国各地に分祠がある。 | ||||||||||||
| 境内の中にある、神井の泉 | ||||||||||||
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| 初めのころの貴布禰神社は、今の貴船神社の奥宮のことを称したといわれ、現在の本社(奥宮に対して端宮はしのみやという)は、後冷泉天皇天喜 三年(1055)に奥宮から遷座したものであるといわれている。貴船の神は、尼ヶ崎から淀川に入り賀茂川を遡って、この地に留まり、奥宮に舟を残して昇天し給う、という社伝があり、境内に舟石といって舟の形に積んだ石塁がある。 | ||||||||||||
| 貴船神社 奥宮 | ||||||||||||
| 「遠碧軒記」(黒川道祐著)上巻の一の項に「小狭輿ちいさごしの事に今一説有、田舎にて老婆をちやと云、後奈良院(第百五代)のときに、貴布禰より狂婆来るを、洛中の小児驚てちゃあちゃあ が来ると云て、逃奔ては其まゝ疫をやむ。干時これは貴布禰たゝりとて、小き神輿を造かきありきてあれば、そのまゝ平癒す…」と記されている。また、同じようなことが『一話一言』(大田南畝著)六の項に「京にて九月に町々の子供神輿をこしらへてかつぎありくに、『貴船の茶々こし、新し権現ちやちやこしこし』と諷ひはやす。昔貴船に茶々という女あり。科ありて刑せらる。その執心人にたたる事あり。よつて祭りてはやすといふ」と記されている。これらの記述からみると、この貴船神には、御怨の神の信仰・悪疫退散の信仰もあったことがわかる。 | ||||||||||||
貴船神社
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貴船神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2026/10/09 23:51 UTC 版)
| 貴船神社 | |
|---|---|
| 拝殿 ![]() |
|
| 所在地 | 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180 |
| 位置 | 北緯35度07分18.2秒 東経135度45分46.2秒 / 北緯35.121722度 東経135.762833度座標: 北緯35度07分18.2秒 東経135度45分46.2秒 / 北緯35.121722度 東経135.762833度 |
| 主祭神 | 高龗神 |
| 社格等 | 式内社(名神大) 二十二社(下八社) 旧官幣中社 別表神社 |
| 創建 | 伝・反正天皇の時代 |
| 本殿の様式 | 三間社流造 |
| 札所等 | 神仏霊場巡拝の道第106番(京都第24番) |
| 例祭 | 6月1日 |
| 地図 | |
貴船神社(きふねじんじゃ)は、京都市左京区鞍馬貴船町にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。全国に二千社を数える水神の総本宮である。地域名の貴船「きぶね」とは違い、水神であることから濁らず「きふね」という。付近は紅葉の名所のひとつでもある。
概要
貴船山と鞍馬山に挟まれた森林鬱蒼とする山峡に鎮座する[1]。社前には賀茂川の上流に位置する貴船川が流れており、京の市中を潤す鴨川の源流とも考えられた[1]。また、縁結びの神としての信仰もあり、小説や漫画の陰陽師による人気もあり、若いカップルで賑わっている。その一方で縁切りの神、呪咀神としても信仰されており、丑の刻参りでも有名である。ただし「丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻」に貴船明神が貴船山に降臨したとの由緒から[2]、丑の刻に参拝して願いを掛けることは心願成就の方法であり、呪咀が本来の意味では無い。平安時代には、丑の刻であるかは不明だが貴船神社に夜に参拝することが行われていた。時代の変遷と共に本来の意味が変質したものと思われる[3]。
祭神
- 主祭神 - 高龗神(たかおかみのかみ)。古くより祈雨の神として信仰され、平安時代に祈雨八十五座(延喜式)の一座とされた[4]。水神である高龗神を祀り、農業や電力関係のみならず、水道、飲食、醸造、染色、浴場に携わる業種の関係者からも信仰を集めるほか、火伏せの神、消防の神としても信仰されている[4]。古来より歴代天皇は干ばつの時には黒馬を、長雨には白馬を奉納して祈願をしていたといい、後に生きた馬に替えて、馬形の板に着色した「板立馬」を奉納したと伝えられる。これが現在の絵馬の原形となったため、貴船神社は「絵馬発祥の社」といわれる。さらに木または紙に描かれた馬の絵によって代用されるようになり、江戸時代に入って個人が小型の絵馬を神社に奉納する習慣が広く流行するにいたった。
歴史
創建年代は不詳であるが、社伝によると反正天皇の時代の創建とされている。社伝によれば、丑の年の丑の月の丑の日に貴船明神が貴船山中中腹にある鏡岩に降臨したのが当社の始まりであるという[2]。また、別の社伝によると神武天皇の母である玉依姫命が、黄色い船に乗って淀川・鴨川・貴船川を遡って当地に上陸し、水神を祭ったのに始まるとも伝えている[2]。当社の名の由来は「黄船」によるものとし、奥宮境内にある「御船型石」が、玉依姫命が乗ってきた船が小石に覆われたものと伝える[5]。「気の産まれる根源」が転じて「気生根」になったともいう。
白鳳6年(666年)に最も古い社殿造替えの記録がある[2]。『日本後紀』には延暦15年(796年)に東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に当社の神が現れ、鞍馬寺を建立するよう託宣したと記されている。
当社は平安京遷都の後に注目され、嵯峨天皇の時代から厚遇されるようになり[6]、弘仁9年(818年)5月8日に「山城国愛宕郡貴布禰神」は大社とされた[7]。また、『延喜式神名帳』にも同じ名で名神大社とされている。後に二十二社の一社とされ、保延6年(1140年)に最高位の正一位の神階を授けられている。
永承元年(1046年)7月に洪水により社殿が流失し、天喜3年(1055年)に現在の本宮の地に社殿を再建・遷座し[5]、元の鎮座地は奥宮とされた。当社は平安時代の中期[8]、あるいは後期[6]より長らく賀茂別雷神社(上賀茂神社)の摂社に組み入れられ、祭祀権や社地を失っている[9]。これは天喜3年の社殿再建が契起となっているとする説がある。
14世紀には当社と賀茂別雷神社の両社人の間で境界をめぐる争いがあり、社殿の破却や神宝の奪取などに遭っている。近世以降、それを不服として訴え続けたが江戸時代の訴訟(元和2年・安政3年)においてはいずれも当社が敗訴している[9]。
悲願の独立を果たすのは1871年(明治4年)になってからである[6]。また、それまでは賀茂別雷神社の祭神である賀茂別雷命も祭神としていた。古くは「貴布禰」「木船」「黄船」「気生嶺(根)」などと表記された社名は、独立以後「貴船」(明治4年の太政官日誌では「貴舩神社」)に定められた[8]。同年には近代社格制度において「貴舩神社」 として官幣中社に列格されている。
境内
社殿は本宮・結社(中宮)・奥宮の3箇所に分かれて建っている。
本宮
- 本殿 - 祭神:高龗神。2007年(平成19年)再建。
- 拝殿 - 2007年(平成19年)再建。
- 権殿
- 御神水 - 神水は京都の水脈の源流である貴船山から流れるものであり、飲用可[10]。水に浮かべると文字が浮かぶ「水占みくじ」が行える[5]。
- 社務所
- 庭園「天津磐境」 - 1965年(昭和40年)に重森三玲により作庭された石庭。
- 龍船閣 - 懸造となっている。
摂末社
結社(中宮)
結社(ゆいのやしろ)は、本宮と奥宮の中間、本宮から上流側300メートルの場所にある。その立地から中宮(なかみや)とも呼ばれている。
磐長姫命を祭神とし、縁結びの神として信仰される。磐長姫命が縁結びの神とされることになった理由として次のような伝承がある。天孫瓊瓊杵尊が磐長姫命の妹の木花開耶姫と結婚しようとしたとき、姉妹の父の大山祇命は、磐長姫命も共に奉った。しかし、瓊瓊杵尊は木花開耶姫とだけ結婚したので、磐長姫命はそれを恥じ、「縁結びの神として良縁を授けん」といって当地に鎮まったという[5]。
以前は、境内の細長い草の葉を結び合わせて縁結びを願っていたが、現在は植物保護のため本宮で授与される「結び文」に願文を書いて指定場所に結ぶことになっている。
奥宮
奥宮は本宮の上流側700メートルの場所にあり、以前はここが本宮であった。闇龗神(くらおかみのかみ)を祭神とするが、高龗神と同じ神であるとされている。
- 本殿 - 祭神:闇龗神。2012年(平成24年)に改築。本殿の真下には誰も見てはならないという龍穴がある。日本三大龍穴のひとつともいう[5]。
- 拝所
- 拝殿
- 御船型石 - 石を積んで船の形を模して造られている。玉依姫命が乗ってきた黄船の周りを石で固めたものという[5]。
- 神門
摂末社
境外摂末社
貴船神社に纏わる逸話
文芸
当社は古くから文芸にも多く登場している。
- 和泉式部
| ものおもへば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる
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- という歌である。それに対して貴船明神が返したと伝えられる短歌
| おく山に たぎりて落つる
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- も『後拾遺和歌集』に収録されている。
- 後の時代に書かれた『沙石集』には、このときの参拝の様子が詳しく書かれている。和泉式部は巫女に縁結びの祭を行わせたが、その一環として巫女は、和泉式部の着物の裾をめくって陰部を露出させる作法をすることを迫った。和泉式部はそれを拒否したが、その様子を夫の保昌が神社の陰から見ており、その態度に感じ入って、その後は夫婦円満になったという。
- 謡曲「鉄輪」
- 室町時代の謡曲の題名。「かなわ」と訓む。あらすじは後妻を娶った男を先妻が恨み、貴船神社に詣でたところ「赤い布を裁ち切り身にまとい、 顔には朱を塗り、頭には鉄輪を乗せ、ろうそくを灯せば鬼となる」とお告げを受ける。男は悪夢に悩み安倍晴明の元を訪れ鬼となった先妻と対決して鬼は消え失せる、というもの。この謡曲は京都市内にある「鉄輪の井」にまつわる伝説が元になっているという説と、『平家物語』「剣之巻」および『太平記』内の「宇治の橋姫」の物語が元になっているという説がある。
おみくじ
貴船神社のおみくじは、くじを引いて巫女に告げるのではなく、一見真っ白に見える紙の中から1枚を選び、境内の霊泉に浮かべると吉凶が解る「水占おみくじ」である。当社のおみくじには「大凶」が本当に存在するが、神社側では「大凶が出たといっても、その後の人生が決定されたわけではないので、あくまでも『参考程度』に留めて欲しい」と述べている。また、当社のおみくじには、QR Translatorが印刷されていて、当社を訪れる外国人観光客は、それぞれの言語でおみくじを読むことが可能になっている。
日本各地の貴船神社
当社から勧請を受けた貴船神社(貴舟神社、貴布禰神社、貴布祢神社、木船神社、木舟神社など)が日本各地に約450社あり、また祭神を同じくし「おかみ」を社名とする神社(龗神社、高龗神社、闇龗神社、意賀美神社など)は2,000社を超える。
前後の札所
所在地
- 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
アクセス
- 叡山電鉄鞍馬線 貴船口駅より徒歩約36分。
- 貴船口駅までは出町柳駅から叡山電鉄鞍馬線か、京都市営地下鉄烏丸線 国際会館駅から、京都バス52系統に乗ると約25分で到着する。なお京都バス52系統は地下鉄・バス一日券では、片道200円の追加料金が必要となる。
- 叡山電鉄鞍馬線 貴船口駅から京都バス33系統、「貴船」バス停下車 、徒歩約5分。貴船口駅からのバスは通年運行。冬季は終バスが少し早まる。
- 貴船には一時利用の駐車場がほとんど無いため、神社では公共交通機関を利用して訪問することを推奨している。なお、乗車定員11人以上の一般車両については、期日と時間を定めて周辺道路の通行が禁止される[11]。
- 源義経や弁慶の時代を堪能できる観光地として、鞍馬寺とあわせて周遊するコースをとる旅行者も多い。鞍馬寺西門(貴船口)は貴船川に面しているが、 鞍馬寺の主要な諸堂までの参道は山道となっている。なお、一般的な周遊コースとして叡山電鉄鞍馬線鞍馬駅からすぐそばの鞍馬山鋼索鉄道山門駅 - 多宝塔駅まで乗って行き、鞍馬寺から鞍馬寺霊宝殿 - 魔王殿から沢伝いに歩いて降りて行き、貴船神社に参拝し、叡山電鉄鞍馬線貴船口駅へと周遊するコースが一般的なコースとなっている。
周辺
脚注
- 1 2 上田正昭ほか『探訪 神々のふる里 6:平安京の神々』小学館、1982年、161頁。
- 1 2 3 4 貴船神社について.貴船神社、2026年10月8日閲覧。
- ↑ 『神社だより12号』(プレスリリース)貴船神社、1993年12月1日。
- 1 2 貴船神社 2003, p. 13.
- 1 2 3 4 5 6 参拝のご案内.貴船神社、2026年10月8日閲覧。
- 1 2 3 岡田精司『京の社:神と仏の千三百年』塙書房、2000年、44頁。
- ↑ 『日本紀略』が引用する『日本後紀』巻27、弘仁9年5月辛卯条。新訂増補国史大系普及版『日本紀略』第2(前編下)、307頁。
- 1 2 貴船神社 2003, p. 3.
- 1 2 貴船神社 2003, p. 32.
- ↑ 小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書) PHP研究所、2001年 p.207 ISBN 9784569616186
- ↑ おいでやす京の奥座敷 貴船へ(交通アクセス)より。
参考文献
関連項目
外部リンク
- 貴布禰総本宮 貴船神社
- 貴船神社 - YouTubeチャンネル
- 貴船神社 (@kifunejinja) - X(旧Twitter)
- 貴船神社 (kifunejinja) - Facebook
貴船神社
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/14 14:51 UTC 版)
由緒 貴船神社は、社伝によると文永年間(1264年~1275年)ともいわれている。高龗神が祭神である。山城国(現:京都府)の貴船神社の祭神を勧請したものと伝わる。境内にあるの池は「御手洗の小池」と呼ばれ、村民の雨乞いの場所でもあり、どんな日照りでも涸れることなく湧き出ることから、当地の地名「和泉」の名の由来になったとも言われている。しかし、神田川の改修工事や付近の宅地化により、昭和40年以降は水が涸れてしまった。現在の社殿は昭和36年(1961年)に建てられたもの。例祭は5月5日である。
※この「貴船神社」の解説は、「和泉熊野神社」の解説の一部です。
「貴船神社」を含む「和泉熊野神社」の記事については、「和泉熊野神社」の概要を参照ください。
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