産田神社とは? わかりやすく解説

産田神社

産田神社
うぶた

鎮座地 三重県熊野市有馬町1814

ご祭神 伊弉諾尊
    伊弉冉尊
    軻遇突智命

(合祀)天照皇大神
   大山祇命
   木華開耶姫命
   神武天皇
 産田川が横に流れ清楚なたたずまい見せている。有馬有馬山崎産土神であったが、現在志原からも氏子入っている。

南牟婁郡誌』によると「伝えていふ 伊弉冊尊此の地において軻遇智神を産み給ふ故に産田と名づく」とある。
 天正年間兵火罹り古記録焼失創立年月日等詳かならずといえども崇神天皇御代と伝へられる。伊弉冉尊此の地にて軻遇突智神産み給ひし故に産田と称す。(産田は産処の義なりとす)後之を標す為に社を建て伊弉冉尊軻遇突智神とを祀り伊弉諾尊夫神なればとて後に合せ祀れるなりといふ。長承元年3月崇徳天皇根来氏を供して行幸あらせられし事あり又代々領主崇敬篤く社領寄進して祭祀厳修せられたり。
 明治40年12月6日天照皇大神大山祇命木華開耶姫、神武天皇祭神合祀する御祭神御神徳について今更申すも畏く、諾、冉、二神生成化育の神に坐す以って当社古来安産守護、子授の大神として地方人の崇敬篤し
参拝のしおりより~
 祭日は、大祭正月十日御弓(的射)の神事が行われる。

 弓引き神事(1月10日)
有馬、口有馬当屋から各一人ずつ選ばれた弓引きは宵宮の日、花の窟神社前の浜で身を清めた後、参籠殿にこもり一夜を過ごす。当日の朝は、産田川で身を清め午前9時過ぎら行われる祭典終了するまで、再び参籠殿にこもっている式典終る弓引き神事が始まる。まず的に向って交互に2回矢を射る次に4回ずつ矢を射って腕を競うのである
また十一月十五日には厄よけ祭りを行う。産田神社の祭礼で特に注目されることは、直会のときに「ホウハン」と呼ばれる膳をいただくことである。
「ホウハン」~「ホウハン」の献立
汁かけ飯一碗
米飯白味噌使った味噌汁をかけた汁かけご飯一碗
骨付のさんまずし
…さんまを腹開きにし、骨をのこしたまま握ったすし
アカイ(赤和え)
生魚細かく切ったものに唐辛子だけであえ、二切か 四切を皿にのせた「アカイ」と呼ばれる料理

ホウハン」をいただくと厄落としができるとか、左利きがなおるなどといわれる

産田神社

読み方:ウブタジンジャ(ubutajinja)

別名 うぶたさま

教団 神社本庁

所在 三重県熊野

祭神 伊弉諾尊 ほか

神社名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

産田神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/24 09:03 UTC 版)

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産田神社
所在地 三重県熊野市有馬町1814
位置 北緯33度52分50.5秒 東経136度4分42.1秒 / 北緯33.880694度 東経136.078361度 / 33.880694; 136.078361座標: 北緯33度52分50.5秒 東経136度4分42.1秒 / 北緯33.880694度 東経136.078361度 / 33.880694; 136.078361
主祭神 伊弉冊尊軻遇突智尊
社格 郷社
創建 不詳(崇神天皇代)
例祭 1月10日(大祭)
2月10日(春祭)
11月23日(秋祭)
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産田神社(うぶたじんじゃ)は三重県熊野市有馬町の神社である。

由緒と歴史

「産田」は産所の意であり、『日本書紀』(神代巻上)一書には、伊奘冉尊(いざなみのみこと)が火の神である軻遇突智(かぐつち)を産んだ時に焼かれて死に、紀伊国の熊野の有馬村に埋葬されたと記されており、産田の名称は、伊奘冉尊の出産した場所によるといわれる[1]。また、付近に位置する花窟神社が、亡くなった伊奘冉尊の墓所であるとされる[2]

創立は、崇神天皇の時代とも伝えられるが、天正年間(1573-1592年)に近隣の安楽寺が兵火にかかった際、延焼により焼失したため不詳である。古くは1132年長承元年)、崇徳天皇が産田神社へ行幸したことが『熊野年代記』に記される[3]。神社の歴史を示すものとしては、1521年永正18年霜月14日)の棟札が認められる[3]

1600年慶長5年)に豊臣秀頼より二王門が寄進されている。また、1732年享保17年)には紀州藩より灯籠が寄付され[3]、社殿が修復された[1]

1871年明治4年)に郷社とされる。1906年(明治39年)12月25日に神饌幣帛料供進社として指定され、翌1907年(明治40年)12月6日には村内の小社5社を合祀した[1]

祭神

伊弉諾尊伊弉冉尊軻遇突智尊天照皇大神大山祇命木華開耶姫命神武天皇[1]

1521年永正18年)の棟札には「奉棟上産土神社二所大明神」とあり[3]、『紀伊続風土記』よると、「二所大明神」は伊弉冉尊と軻遇突智尊の2神を指すことから、当初は伊弉冉尊と軻遇突智尊が祀られ、後に夫神である伊弉諾尊が併祀されるようになったといわれる[1]

境内

  • 本殿 - 屋根に鰹木のある神明造1929年昭和4年)建立。
    白石が敷詰められた本殿前には、用意されている草履に履き替えて入場する[4]
  • 参籠殿

例祭

  • 1月10日(大祭・弓引き神事)
  • 2月10日(春祭)
  • 11月23日(秋祭)
奉飯(ほうはん)の儀
神事の最後、直会(なおらい)の際に[3]、汁かけ米飯、骨付きさんま寿司、赤和え(アカイ〈生魚の唐辛子和え〉)、神酒からなる「奉飯」と呼ばれる膳が振舞われる。

神徳

  • 安産・子授け
    伊弉冉尊は多くの神々の母であることから、古くより安産や子授け、子育てを祈願し、信仰されている。安産祈願の際、目を閉じて拾った石が丸いと女子、細長いと男子が産まれるといわれる[5]

文化財

  • 産田神社祭祀遺跡
  • 産田神社社叢
    古代の祭祀の場である神籬(ひもろぎ)の跡が本殿の両側にあることから[4]、当社は「産田神社祭祀遺跡」として1964年(昭和39年)4月28日に熊野市指定文化財の史跡に指定されており、また、社叢は「産田神社社叢」として同日、同じく市指定文化財としての天然記念物に指定されている[6]

交通

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f 神社の紹介 - 産田神社”. 三重県の神社. 三重県神社庁 教化委員会 (2012年7月). 2015年8月17日閲覧。
  2. ^ 由緒書”. 花窟神社. 2015年8月25日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 『日本の神々 - 神社と聖地 6 伊勢・志摩・伊賀・紀伊』谷川健一編、白水社、2000年、470-471頁。ISBN 4-560-02506-1
  4. ^ a b 岡田謙二『日本のパワースポット案内 巨石巡礼50秀和システム、2011年、167-170頁。ISBN 978-4-7980-3120-0
  5. ^ a b 熊野「ご利益」七めぐり (PDF)”. くまっぷ. 熊野市観光スポーツ交流課. 2015年8月25日閲覧。
  6. ^ 文化財”. 熊野市. 2015年8月17日閲覧。

関連項目

外部リンク




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