行幸とは? わかりやすく解説

ぎょう‐こう〔ギヤウカウ〕【行幸】

読み方:ぎょうこう

[名](スル)《「ぎょうごう」とも》天皇外出すること。行く先が2か所以上にわたるときには巡幸という。みゆき。→行啓(ぎょうけい)


み‐ゆき【行幸/幸】

読み方:みゆき

【一】行くこと敬っていう語。特に、天皇外出をいう。行幸(ぎょうこう)。古くは、上皇法皇女院にもいったが、のちに御幸(ごこう)と音読し区別した

群臣或は帝に勤むるに浙(せつ)に―するを以てするあり」〈露伴運命

こちごち花の盛りに見(め)さずともかにもかくにも君が―は今にしあるべし」〈万・一七四九〉

【二】(行幸)源氏物語29の巻名。光源氏36歳から37歳冷泉帝大原野行幸、玉鬘(たまかずら)の裳着(もぎ)の行事などを描く。


行幸

天皇外出されること。

行幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/11 08:57 UTC 版)

行幸(ぎょうこう、みゆき)とは、天皇が居所から外出することである。目的地が複数ある場合は特に巡幸(じゅんこう)という[1]


注釈

  1. ^ これについて、高埜利彦は江戸幕府が社会に広く天皇の存在と権威を直接示すことを拒む朝廷統制策(「江戸幕府による行幸禁止政策」)があったとする。これに対して藤田覚は行幸の衰退・廃絶傾向は鎌倉時代後期から一貫して見られる現象であり、なおかつ財政的な問題もあったことから、それが江戸時代における朝廷側の行幸への消極的な姿勢につながっているとする[2]。また、鎌倉時代後期から行幸の衰退・廃絶について、佐古愛己は財政的な問題に加え、行幸に際して随行した公家たちの対する叙位が行われたことで、随員に選ばれず他者に超越される(位階を越される)ことになった公家の反発を招いて公家社会内部でのトラブルが深刻化したことにより、徳政の目標として「公平な人事」を求める声が高まり、叙位発生の原因となる行幸そのものが抑制された可能性を指摘する[3]
  2. ^ この規則は、天皇の行幸、皇后、皇太后、皇太子及び皇太子妃の行啓並びにその他の皇族のお成りの場合の警衛に関し必要な基本的事項を定め、もってその適正な実施を図ることを目的とする[4]

出典

  1. ^ 精選版 日本国語大辞典『行幸』 - コトバンク
  2. ^ 藤田覚『近世政治史と天皇』(吉川弘文館、1999年)第6章「天保期の朝廷と幕府-朝覲行幸再興を中心に」
  3. ^ 佐古愛己『平安貴族社会の秩序と昇進』(思文閣出版、2012年)補論2「中世公家社会における叙位の一考察」
  4. ^ 国家公安委員会規則『警衛要則』第1条
  5. ^ 富山県護国神社 『富山県における聖帝四代の御製を拝す 』富山県護国神社、2012年、p27頁。 
  6. ^ 柴崎力栄「関東地方における明治天皇親率演習---一八八一年の厚木行幸を中心に」(年報近代日本研究12・近代日本と情報、山川出版社、1990年)133-136頁に「明治天皇聖蹟の史跡指定」について記述がある。
  7. ^ 永田英明「天皇の行幸」館野和己・出田和久 編『日本古代の交通・流通・情報 2 旅と交易』(吉川弘文館、2016年) ISBN 978-4-642-01729-9 P94-95
  8. ^ 山本雅人『天皇陛下の全仕事』(2009年、講談社現代新書)
  9. ^ 第71航空隊 US-1A 90号除籍記念式典



行幸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/07 08:42 UTC 版)

二条城」の記事における「行幸」の解説

寛永元年1624年):徳川家光将軍秀忠大御所となった寛永元年から、二条城後水尾天皇の行幸を迎えるため大改築始まった城域西に拡張され天守拡張され西側位置変え廃城となった伏見城天守移築した作事奉行には小堀政一五味豊直(後の京都郡代)が任じられる尾張藩紀伊藩などの親藩譜代19家が石垣普請担当した寛永3年1626年):行幸は寛永3年9月6日1626年10月25日)から5日間に渡っておこなわれその間舞楽能楽の鑑賞、乗馬蹴鞠和歌の会が催された。この行幸が二条城最盛期である。行幸のために新たに建てられた行御殿上皇となった後水尾院御所移築、その他多くの建物が解撤去された。 寛永11年1634年7月秀忠死後家光307千の兵を引き連れ上洛し、二条城入城したのを最後に二条城将軍迎えることは途絶え幕末の動乱期までの230年間、二条城歴史表舞台から姿を消す。 その230年間に暴風雨地震落雷徐々に建物破損し老朽化する寛延3年1750年)には落雷により天守焼失。さらに京の町焼き払った天明8年1788年)の大火際には、飛び火原因で本丸御殿隅櫓などが焼失した破損部分に関して修理が行われたが、失した建物について再築されることなく幕末迎える。 寛永2年1625年):二条城には、将軍不在間の管理警衛のために二条城代二条在番設置された。 元禄12年1699年):二条城代廃止され、その職務二条在番担当することとなった文久2年1862年)閏8月交代制二条在番廃止され、それに代わって常勤制の二条定番設置された。なお、朝廷監視および折衝担当する京都所司代二条城の北に邸を構えそこで政務執っていたため、将軍不在二条城幕府政庁としては全く使用されなかった。

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 01:40 UTC 版)

源氏物語各帖のあらすじ」の記事における「行幸」の解説

源氏36歳12月-37歳2月) 冬、大原野の行幸で玉鬘執心する冷泉帝垣間見た彼女も、にくからず思う。源氏内大臣真相打ち明け入内に向けてまずは玉鬘裳着古代女性成年式)を行うことを話し合う。年明けて春、玉鬘裳着行い内大臣親子対面果たす。行幸参照

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 01:40 UTC 版)

昭和天皇」の記事における「行幸」の解説

戦前皇太子時代から盛んに国内各地に行啓、行幸した。1923年大正12年)には台湾台湾行啓)に、1925年大正14年)には南樺太にも行啓している。 戦後先述の通り1946年昭和21年2月から約8年半かけて日本全国巡幸して国民激励し各地国民熱烈な歓迎受けた戦後巡幸)。これとは別に1947年昭和22年9月襲来したカスリーン台風被災地には「現地人々に迷惑をかけてはいけない」として、お忍びで視察行い避難所訪れて激励行ったそのほか、行幸先での逸話御製ぎょせい天皇詠む短歌)も非常に多い天覧の大杉エピソード参照)。なお、当時宮内次官加藤進の話によれば、「昭和天皇が(1945年3月10日の)東京大空襲直後に都内下町視察した際、被害甚大さに大きな衝撃受けたことが、のちの全国巡幸主要な動機一つになったではないか」と推測している。なお、この東京大空襲同日には皮肉にも自身の長女である成子内親王東久邇成子)が防空壕の中で初出産をして、自身の初孫にあたる東久邇信彦誕生した日でもあった。 また、昭和天皇1964年昭和39年)の東京オリンピック1970年昭和45年)の大阪万国博覧会1972年昭和47年)の札幌オリンピックバブル経済前夜の1985年昭和60年)の国際科学技術博覧会つくば博)の開会式にも出席している。特に、敗戦から立ち直りかけた時期イベントである東京オリンピック成功には大きな影響与えたとみられている昭和天皇全国46都道府県巡幸するも、沖縄県巡幸だけは第二次世界大戦終結後長らくアメリカ軍占領下であった上、返還後1975年昭和50年)の長男皇太子明仁親王同妃美智子夫妻の訪沖の際にひめゆりの塔事件発生したこともあり、ついに果たすことができなかった。 ただし、即位前の皇太子時代に、一度だけ沖縄県訪問したことはある。それは、1921年大正10年3月6日に、欧州訪問への出発に際して半日足らず滞在をした(詳細は「皇太子裕仁親王の欧州訪問#往路参照)。 その後病臥した1987年昭和62年秋に第42回国民体育大会沖縄海邦国体)への臨席予定されていたが、自ら訪沖することが不可能と判明したため皇太子明仁親王夫妻名代として派遣し、「おことば」を伝えた。これに関して思はざる 病となりぬ 沖縄を たづねて果さむ つとめありしを 」との御製伝わり、深い悔恨の念思われる代理として訪沖した明仁親王沖縄入り代表者会見した際、「確かにお預かりして詣りました」と手にした父帝の「おことば」をおし頂き真摯にこれを代読した。 その死の床にあっても、「もう、ダメか」と自身の病状よりも沖縄巡幸行えなかったことを嘆いていたという。 なお、天皇として初めての沖縄県訪問長男明仁が、1993年平成5年4月23日-4月26日日程実現させた(目的第44回全国植樹祭臨場地方事情視察)。その後も、2019年平成31年)に譲位退位)するまで計6回にわたり皇后美智子同伴沖縄県行幸啓した。

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行幸

出典:『Wiktionary』 (2021/08/18 12:16 UTC 版)

名詞

 ぎょうこう

  1. 天皇外出すること、みゆき
  2. 中国皇帝訪れること。

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