自称天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/06 18:03 UTC 版)
平将門 - 桓武天皇5世孫。940年(天慶3年)、関東に独立勢力を築き上げ、八幡神の託宣により「新皇」に即位するも同年敗死。 自天王(自天勝公) - 諱は尊秀。系譜、実名ともに不明である(自天王と尊秀王は別人であるともされている)。自ら天皇を称して奥吉野で即位。長禄元年12月、赤松氏の遺臣により暗殺される(長禄の変)。(※後世の後南朝伝説では後南朝の2代天皇、後亀山天皇の曾孫(あるいは惟成親王の曾孫)、中興天皇の息子という設定)
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自称天皇(近現代)
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歴史上、天皇を自称した人物。参考文献は『天皇家歴史大事典』(別冊歴史読本、新人物往来社、2000年)211頁以下、保阪正康『天皇が十九人いた』(角川文庫、2001年)14頁以下、中見利男『偽天皇事件に秘められた日本史の謎 (別冊宝島 2192)』(宝島社、2014年)108頁以下による。 葦原金次郎 - 日露戦争期に葦原将軍、昭和10年代に「葦原天皇」を自称した。奇抜な言動や行動で大衆や新聞記者に人気があった松沢病院の精神病患者。 熊沢寛道 - 96代後亀山天皇第19世の子孫、南朝第118代の「熊沢天皇」と称し、諱を尊熟と自称する。後に法皇を自称。なお、熊沢天皇と称した人物はほかに5人いる。 植本一雄 - 作曲家。南朝の皇統の継承者と霊示されたといい、1952年(昭和27年)、明仁親王より80日早く立太子礼を行い、「植本天皇」と称した。世界あじろ木同盟を主宰。 璽光尊 - 戦後新たに天皇を名乗った人。元号を霊寿と改め、天皇や皇族、そしてダグラス・マッカーサーに自らの皇居参内を命じ、やがて金沢に遷都し、私造紙幣をも発行した新興宗教の教祖。 長浜豊彦 - 鹿児島県硫黄島で81代安徳天皇の末裔を主張。「長浜天皇」と称した。長浜天皇と称した人物はほかにも1名いる。 三浦芳聖 - 愛知県豊川市で、98代長慶天皇の末裔で後醍醐天皇の皇子・尊良親王の生まれ変わりだと主張し、「三浦天皇」を称した。「神風串呂」なる神道霊学を立ち上げ、「天皇は狸に祟られている」と吹聴した。
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自称天皇
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/12 16:38 UTC 版)
戦前は皇位や皇族を僭称することは不敬罪として処罰対象であったが、GHQ体制下で取締りが弱くなった戦後の一時期、皇位継承者を自称する者たちが各地に出現し、世間の耳目を集めた。熊沢はこれら「自称天皇」の代表的存在である。 熊沢の主張によれば、熊沢家は熊野宮信雅王に始まる家で、信雅王は応仁の乱の際に「西陣南帝」と呼ばれた人物だとし、その父は南朝の後亀山天皇の孫とされる尊雅王(南天皇)であるとする。また、足利氏から帝位を追われ、応仁の乱の際に西軍の武将だった斯波氏が尾張国守護職をしており、宗良親王の末裔の大橋氏や、楠木氏ら南朝ゆかりの武将が多く住している尾張国時之島(愛知県一宮市)に隠れ住んだと述べている。 その姓は熊野宮の「熊」と奥州の地名・沢邑の「沢」をとって、熊沢姓を名乗ったとある。彼自身は分家からの養子だが、系図上は養父とともに後亀山天皇の実系の男系子孫ということになっている。
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