兄の全共闘への反発
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/11/03 16:25 UTC 版)
「文京区本郷兄弟決闘殺人事件」の記事における「兄の全共闘への反発」の解説
1968年4月に、兄は大学に復学するが、当時の京都大学は学園紛争の渦中にあった。しかし、目上を敬い、秩序の保持を信念とし、ゆえに弟とも決闘した兄は、学生たちに反発。右翼を自称し、天皇擁護論を唱え、全共闘の学生を怒鳴りつけるなどしていた。昭和44年(1969年)2月16日、全共闘の学生らが京大の時計台封鎖の挙に出ると、兄は妨害派に加わり、投石などのゲバルト活動に参加。空手初段の兄は、味方から引きとめられるほどであったという。
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