第二次世界大戦後における南北朝時代を巡る議論
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/09 15:11 UTC 版)
「南北朝正閏論」の記事における「第二次世界大戦後における南北朝時代を巡る議論」の解説
第二次世界大戦後は、歴史の実態に合わせて再び「南北朝時代」の用語が主流になった(平泉澄は戦後も「吉野時代」の表現を用いているが、ごく一部の見解にとどまる)。ただし、宮内庁を始めとして、天皇の代数は南朝で数えるのが主流となっており、南朝を正統としていることになる。また価値観の転換や中世史の研究の進歩で、足利尊氏の功績を評価したり、楠木正成は「悪党」(悪者を意味せず、幕府等の権力に反抗した者をさす)としての性格が研究されるようになり、後醍醐天皇の建武の新政は宋学の影響で中華皇帝的な天皇専制を目指す革新的なものであるなど、南北朝時代に関しても新たな観点が議論されるようになった。(とはいえ2022年現在ではこれらの主張についても一定の反論が出ている) 網野善彦は職能民など非農民層に着目し、南北朝時代が日本史の転換期にあたると主張している。また、太平洋戦争の敗戦直後には、熊沢寛道に代表される自称天皇が現れ、自身が南朝の子孫であり正統な皇位継承者であると主張した、などのエピソードもある。
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